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「硝子瓶」─── これから不定期に、記事とか、リンクとか、動画とかをまとめて発信します。なるべく2週間おきくらいには発信したいと思います。
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マクニール・レーラー・ニュースアワー ウィリアム・ジョン・ベネット(左)、ドナルド・ケネディ(中)、ジム・レーラー(右)1988年4月19日 [NewsHour Productions] |
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マクニール・レーラー・ニュースアワー 1988年4月19日 [NewsHour Productions] |
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『ホット・スカル(2022)』 (Netflix Teaser) ABUKLAMA(ペチャクチャ病) |
最後に取り上げるのは、《フィルム・ノワール》が登場してくる背景についての議論である。とくにここでは技術的背景について述べたい。 続きを読む 曖昧な、曖昧な、フィルム・ノワール [6]
《フィルム・ノワール》の総論的分析には、ドイツとの関係が常につきまとう。ひとつは《フィルム・ノワール》の視覚的スタイルは《ドイツ表現主義》の影響を受けたとする議論である。もうひとつは、ハリウッドでの《フィルム・ノワール》形成には、ナチスから逃れたユダヤ系ドイツ人が重要な役割を果たした、というものである。
総論のなかで何の躊躇もなく述べられるこれらの議論は、それぞれをつぶさに見ていく各論のレベルのなかでは、あきらかに齟齬を起こしている。1970年代にはだれも疑うことのなかった総論を支えていたはず基礎がほころび始めている。その状況をみてみたい。
《フィルム・ノワール film noir》という言葉の語源に、ことさら深い意味があるのかどうか、正直なところわからない。だが、フランス映画批評を起源とするこの名詞は、様々な意味を持たされて時代を通過してきた。そして、これからもその意味を変えていくのではないだろうか。
この語の起源がフランスにあるという点が長いあいだ注目されていたのは、1946年から20年以上のあいだ、当のアメリカ人たちが《フィルム・ノワール》なるものを全く認知していなかった、という文化のあやのようなものを象徴しているからだろう。特にハリウッド映画という、本国では非耐久消費財とみなされていたものが、シリアスな批評に値する可能性を具体化してみせたのが《フィルム・ノワール》だった。
この言葉のその怪しげな出自と、その出自がその後の批評に与えたインパクトを見てみたい。