本当にカメラは解き放たれたのか
サンライズ Sunrise (1927) F・W・ムルナウ監督 “Fluid Camera”
F・W・ムルナウはドイツで『最後の人(Der Letze Mann, 1924)』を監督しました。この作品で、カール・フロイント(撮影)とともに非常に独創的なカメラ・ムーブメントに挑戦し、それは “die entfesselt Kamera(飛ぶカメラ)”と呼ばれていました。
F・W・ムルナウはドイツで『最後の人(Der Letze Mann, 1924)』を監督しました。この作品で、カール・フロイント(撮影)とともに非常に独創的なカメラ・ムーブメントに挑戦し、それは “die entfesselt Kamera(飛ぶカメラ)”と呼ばれていました。
先日のUNKNOWN HOLLYWOOD第6回のトーク内で「動くカメラ」についてお話をしましたが、そのいくつかについて、実際の撮影の様子を紹介します。
|
『つばさ(Wings, 1927)』ウィリアム・A・ウェルマン監督 トラッキングショット |
![]() |
|
「スナイパー(1952)」 |
![]() |
逮捕されたハワード・ウンルー(中央) 警官たちの表情と犯罪者の表情の対比 |
彼の日記は、奇怪としか言いようがないー戦争中に射殺したドイツ兵について一人一人、いつ、どこで、どのような状況で撃ったか、そしてその兵士の死んでいくときの顔の表情を、克明に記録しているのだ。
-Bad Blood, An Illustrated Guide to Psycho Cinema, Christian Fuchs, 1996
|
「スナイパー(1952)」UNKNOWN HOLLYWOODオリジナル予告編 |
マヤ・デレンの「午後の網目(Meshes of the afternoon, 1943)」を知っている人も多いだろう。共同監督として名が挙がっているアレキサンダー・ハミッドは「マヤ・デレンの夫」としてまず紹介される。しかし、彼自身も、その生涯にわたって新しい映像技術に挑戦し続けた映像作家である。その彼の処女作が「あてなき彷徨(Bezucelná procházka, 1930)」である。この作品はチェコスロバキアの実験映画の始まりと言われている。
【参考】
“Small-Gauge Storytelling: Discovering the Amateur Fiction Film, Ryan Shand”、Ian Craven (2013)
Close Up、1929年 10月号