なぜフォックス・ムービー・チャンネルは『チャーリー・チャン』映画シリーズの放映をとりやめたか

ワーナー・オーランド

 2003年、アメリカのフォックス・ムービー・チャンネル(FMC)は、1930~40年代のチャーリー・チャンが主役のシーリズの放映を発表しました。しかし、その後すぐにFMCはその放映をキャンセルすると発表したのです。

 フォックス・ムービー・チャンネルは、チャーリー・チャンのミステリー映画の放映を取りやめます。
 フォックス・ムービー・チャンネルは、ミステリーファンや古典映画ファンからのリクエストに応えるためにフィルムを修復し、これらの映画に見られる、複雑なストーリーや登場人物、そしてチャーリー・チャンの素晴らしい知性、といったポジティブな側面を描くことを意図してこれらの映画の放映を予定していました。また、フォックス・ムービー・チャンネルの多くの契約者、そして映画史研究者が、これらの映画の放映を長い間リクエストしていました。
 しかしながら、フォックス・ムービー・チャンネルはチャーリー・チャンの映画は、一部の視聴者に対して問題のある状況や表現が含まれることを知らされました。フォックス・ムービー・チャンネルは、これらの歴史的な作品は、人種に関する感受性が今日とは相違する時代に製作されたことを認識しています。これらの映画を放映するにあたっての皆さんからの反応の結果として、フォックス・ムービー・チャンネルは、これらの映画を予定から外すことにしました。
 このアクションが私達のこの現代の多文化社会における進歩に関して、議論を呼び起こすものと期待しています。この件についてのあなたのご意見をこのWebフォームを使ってお送りください。

 3つのアジア系アメリカ人の団体 ーNAPALC (National Asian Pacific American Legal Consortium)、 NAATA (National Asian American Telecommunication Association)、 OCA (Organization of Chinese Americans)ー が抗議活動を行った結果だと言われています。OCAのチャーリー・チャン映画への反応は、「ハリウッドがマイノリティに与えるべき役を与えなかった差別的な時代」を思い起こさせるものであり、「白人が、アジア系民族のステレオタイプを不正確に演じたもの」というものでした。NAATAは、「アメリカの映像文化の歴史における、不愉快極まりないアジア人のカリカチュア」と呼んでいます。

 これに対し、多くの映画ファンが「政治的正しさ(political correctness)による弾圧」と反発し、彼らはチャーリー・チャンの映画が「人種差別的」だとする視点こそ、何も見ていないと強く抗議したのです。チャーリー・チャンの研究家で権威とも言われるケン・ハンケは「圧力団体には言いたい:大人になれ」とかなり強い口調で、このような放映の取りやめを要請するような政治的活動を非難しました。多くの映画ファンや歴史家は「これは、歴史的な作品であり、それを消し去ることは、修正主義的だ」とPC的なスタンスに疑問を呈しています。

 ファンの一人が、FMCのPR部副部長のジョン・ソルバーグにこの件について問い合わせたところ、プログラム編成の際に、歴史的な視点だけを考えてしまい、エスニック(人種的)な視点が抜け落ちていた、と語ったと伝えています。結局、FMCはプログラムの一部を戻し、チャーリー・チャンのシリーズから3作を選んで放映しました。

 この一連のやり取りを、「政治的正しさによる言論統制」「一部のファンのマイノリティへの鈍感さ」「歴史的文脈への無理解」などと一般化して片付けてしまうのは、私は少し乱暴のように思うのです。これに類似しているようにみえる議論は、今は毎日のように目にするのですが、どれもこれも同じパースペクティブで解釈するのは、少し怠惰だと思います。

 まず、アジア系アメリカ人のコミュニティの一部は、この「チャーリー・チャンの映画がケーブルテレビで特集放映される」ことの何を問題にしたのでしょうか。「アジア系アメリカ人が差別的な状況下で当然の役柄を与えられなかった時代を思い起こさせること」であり、「白人によって不正確にアジア系人種が描かれ、演技されていること」だと主張しているのです。これは繰り返し、1970年代からアジア系アメリカ人コミュニティが発信してきたことで、チャーリー・チャンに限らず、アメリカのメインストリームのメディア、エンターテーメントが描いてきた、アジア系人種のステレオタイプが、「非アジア系人種によって不正確に描かれている(whitewashing)」ことを問題視しているのです。

 これに対し、チャーリー・チャン映画の放映取りやめに抗議した人たちの主張は何だったのでしょうか。多くは「チャーリー・チャンは探偵として優秀であり、過去も今も見る者に尊敬を念を抱かせる」「チャーリー・チャンはサム・スペードやフィリップ・マーロウと並ぶアメリカのアイコンである」というもので、「見ればわかるが、決して差別的ではない(だから、放映中止を呼びかけている人は見てもいないだろう)」「放映中止を呼びかけている連中は、ワーナー・オーランドが黄色いメークアップをしているなんて言っているが、そんなメークなんかしていない」という論を展開していました。

 これは当時様々なサイトに書き込まれたものなどから、おおまかにまとめた傾向ですが、どこを見ても、この2方向の議論のベクトルが交わっていないように見えるのです。誤解がない範囲でこの2つのベクトルをそれぞれ一言で言うと、一方は「(人種的なアイコンとして)不正確だ」と言い、もう一方は「(文化的なアイコンとして)立派だ」と言っているのでしょう。別な言い方をすると、「アジア系アメリカ人としてリアルではない」と「フィクションだ」というベクトルかもしれません。

 フィクションのキャラクターに対して「リアルではない」というのは、言いがかりと言われても仕方ないでしょう。「チャーリー・チャンが引用するいい加減な格言」について、「不正確極まりなく差別的だ」というのは、「フィクションなのだから、それは分かった上でのエンターテーメントだ」と返すのはファンの心情として理解できます。チャーリー・チャンの映画シリーズのファンは、チャーリー・チャンと言う現実とはかけ離れたキャラクターに魅力を感じ、それがアジア系なのかどうかさえも特に問題視せず、腕力も武器も使わずに、知性だけで犯人を追い詰めていく、その卓越した人物像に惹かれているのです。そして他の探偵は違い、家族思いで、子どもたちに対する責任感も強い一方で、妻への愛情も素直に表現する、何よりも一人の人間として尊敬に値するキャラクターなのです。それが「白人が演じた偽のアジア系アメリカ人」だからと放送キャンセルまで追い込むような政治活動は行き過ぎだ、と感じるのはファンであれば至極当然でしょう。

 では、フィクションのキャラクターに難癖をつけるアジア系アメリカ人たちは、政治的正しさに酔いしれた狭量な人たちなのか。『チャーリー・チャン』の著者、Yunte Huang氏が、そのイントロダクションで紹介している話が、象徴的だと思います。2002年にハーバード大学で彼が講演をすることになったとき(彼が『チャーリー・チャン』研究を始める前です)、その告知ポスターに、中国から北米大陸を睨んでいるチャーリー・チャンが描かれていました。そのポスターを作ったのは英文学科の秘書の女性で、お互い職場の仲間としてよく知っていたのですが、「50代後半の白人女性である彼女は、チャーリー・チャンの映画を見て」育ったのです。そして、いつも楽しそうに会話をするHuang氏のイメージを、(彼女の好きな)チャーリー・チャンのイメージに重ねてポスターを作ったらしいのです。Huang氏は「彼女に対しての好意もあるし、自分が感じる礼儀の問題としても、『こういった好戦的なチャンのイメージは多くの中国系アメリカ人にとっては不快ですよ』と伝えて、彼女の創作物に対して疑問を投げかけるようなことはあえて」しなかった、と述べています。

 多人種社会/多様化社会では、このようなことは日常茶飯事です。こういった些細なこと ーステレオタイプと目の前にいる実在の人物をカジュアルにつなげることー がとめどなく繰り返されるなかで、多くのマイノリティはそのことを「あえて指摘しないで」過ごしていきます。フィクションとリアリティを混同しているとか、レッテル貼りだとか、いちいち大上段に構えていたら、それこそやっていけない。けれども、多くのマイノリティは、そのようなステレオタイプにウンザリはしている。自分たちは、生まれた時から英語で生活し、発音だって、表現だって、ネイティブなのに、いつも「ピジン・イングリッシュ」で喋っていると思われていて、喋ると「英語上手いね」なんて言われる。なにかといえば、拳法やっているのか、とか、家ではお辞儀ばっかりするのか、と質問される。「おもしろいから」と無自覚なまま、そういったイメージが再生産され続けていることにウンザリしている。「フィクションで楽しんでいる分には実害なんかないじゃないか」といわれても、そうですか、でもウンザリはしているんですけどね、と心のなかでつぶやいている。そして、『チャーリー・チャン映画シリーズ大特集』と出てきたときには、これを見た新しい視聴者が、またウンザリを拡大再生産するのではないか、と危惧するのは当然でしょう。フォックスの担当部長が「人種的な視点が抜けていた」と言ったのは、そういう意味ですね。

 ただ、この「ウンザリ」も、マイノリティ全員一様にウンザリしているわけではなくて、ひとそれぞれ、中には全く気にかけない人もいます。実際に、無自覚にカジュアルな不快な発言をする人のなかには、ウンザリしない人を知っているから「ウンザリするほうがおかしい」とさえ言い始める人もいるくらいです。

 特にチャーリー・チャンの映画シリーズの場合には、その製作において厳然と存在していた実害 ー中国系アメリカ人俳優の差別的な扱いー が、「白人俳優が演じる中国系アメリカ人」という形でフィルムに刻み込まれていることを意識することが重要です(1)。なぜなら、その屈辱が中国系アメリカ人のコミュニティには(そして似たようなことはあらゆるマイノリティのコミュニティにおいて)、今もさまざまな形で痕跡を残しているからです。

第一次世界大戦後にアメリカ国内で移民排斥の論調が高まり、特にアジア系に対する反感が強まっていました。そのなかでジョンソン・リード法(1924年移民法)が発動され、中国人、日本人の渡米が実質的に禁止されました(この法律を日本で「排日移民法」と呼ぶこともあるようですが、明らかにおかしいですね)。その直後の時代に、ハリウッドではフーマンチュウや『フラッシュ・ゴードン』のミンなどのキャラクターを作り出し、立場の弱いマイノリティを「面白おかしく」描いていたことは忘れてはいけません。1920年代からハリウッドに厳然と存在するステレオタイピング、人種差別、ホワイトウォシングに公然と反論したのは、女優のアンナ・メイ・ウォンでした。主役をもらえないばかりか、差別的な役を、白人よりも明らかに安い給料でやらされる、そのことにうんざりした彼女は、ハリウッドを捨てて、ヨーロッパに2度も渡っています。彼女の演技力と女優としての魅力はヨーロッパで高く評価され、多くの信奉者も現れました。しかし、MGMはパール・バック原作の『大地』の映画化に際して、アンナ・メイ・ウォンに主役をオファーせず、白人のルイーゼ・ライナーが阿藍の役を与えたのです。ウオンには、意地悪い性格の役がオファーされたのですが、彼女はそれを断りました。

非常に人気のあったアンナ・メイ・ウォンでさえ、このような扱いを受けていたのですから、マイノリティの俳優や映画関係者の大部分は、映画という新しいメディアが自分達とは似ても似つかないイメージを繰り返し生産していくさまを黙ってみているよりほかなかったのです。それはつい最近まで残り続けていたことを、マイノリティのコミュニティは覚えているのです。メインストリームの映画批評も、そのようなハリウッドの人種構造について、1980~90年代までは特に強い批判を行ってきませんでした。ポーリン・ケイルは、例えば『大地』について、ルイーゼ・ライナー演ずる阿藍が従順な女性であることが美徳して描かれているという、ジェンダーの問題には鋭い批評の矛先を向けますが、人種の問題については、白人が東洋人の役柄を演じた、と言及するに終わっています。アンドリュー・サリスに至っては、ライナーの演技がつまらない、くらいの表現に終止する程度です。

このような人種のステレオタイプの問題が表面化した例として、ディズニーの『アラジン(1993)』があります。ここでは、主人公のアラジンがアングロ・サクソン化されて訛りのない英語を話す一方、盗賊たちが典型的な「アラブ化」を施されていたことに 、公開当時から非難の声が上がっていました。ディズニーのその後の「PC化」を考える上で非常に重要な岐路となった出来事でした。

 では、2003年の「チャーリー・チャン放映」ときにはどうすればよかったのか。最終的にFMCは、チャーリー・チャンの映画から3作品を選び出して放映し、そのあと中国系アメリカ人が司会を務めるパネルディスカッションの番組を流したそうです。私はその番組を見ていないので、どうにも判断できませんが、抜けていた「人種的な視点」をもう一度テーブルに上げるという作業が必要だったのは間違いありません。

 なぜ、非白人の人種を白人が演じるのか。映画製作者側の人種的バイアスが顕在するのでしょうか?映画製作者は、興行成績を伸ばすため(あるいは不発にならないようにするため)に、選ぶのでしょうか?そして、ここにきてこの問題は、1930年代の過去の話ではなくなってきています。今、話題になっている映画の予告編が、いずれも「白人女性がアジア系人種を演じている」ということで、問題視されているのです。2017年に公開予定の『Ghost in the Shell』の草薙素子役にスカーレット・ヨハンソンが起用されたこと今年公開予定の『Doctor Strange』の Ancient One の役をティルダ・スウィントンが演じていること、がエンターテーメント関係のウェブサイトで取り上げられてから、議論が再燃しています。そのような配役は過去ずっと行われてきてはいたのですが、この数年間、それがやや増加する傾向にあると考えられています。なぜ、ここにきてこのような事態が顕在化してきたのか。これは「映画産業が白人に支配されているからだ」とか「観客側の無意識のバイアスが投影されているのだ」とかさまざまな意見を繰り広げることは可能ですが、問題はもっと根深く裾野の広いものでしょう。

 その議論を伝える記事のコメント欄に、また「大人の頭があれば、こんなこと(白人がアジア系人種として配役されること)を問題にしない」というのがありました。この問題が「大人に成長すれば」解決するのであれば、「大人になるために」向き合って話し合う必要があるでしょう。

(1) チャーリー・チャンの映画の場合、「中国系アメリカ人」という設定にも特に注意する必要があるでしょう。

パセーイク・テクスタイル・ストライキ

『ザ・トゥルー・コスト~ファストファッション 真の代償(The True Cost, 2015)』は、Zara、H&M、ファーストリテイリングなどのいわゆるファストファッションの擡頭によって、壊滅的な「変革」に曝された繊維・衣料業界についてのドキュメンタリーである。グローバリズムの下に、劣悪な環境で劣悪な賃金・労働条件で労働する人たち(主に女性)の実態をとらえていく。製作者らは(主にアメリカの)消費者が、この生産者たちの状況を知らないことを踏まえ、テーマの一つとして「あなたの服を作っている人を知ろう」という点を挙げている。

今から90年前に、同じ言葉で始まるドキュメンタリー映画がアメリカで製作されている。

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ルドローの虐殺

D・W・グリフィスの大作『イントレランス(Intolerance, 1916)』の「現代篇」は、経営者による賃金カットに反発した工場労働者のストライキ、そしてその悲劇的な結末で幕を開ける。なかでも、ストライキ鎮圧のために武装した部隊が投入され、ピケを張っている労働者の一群に機関銃掃射を撃ちこむシーンは、過剰な暴力のあまりの呆気なさに唖然としてしてしまう。

このシーンは、『イントレランス』の公開数年前にコロラド州の南部で起きた実際の事件を元にしている。コロラド州のトリニダードは、ニューメキシコ州との州境に近い、小さな町である。この町を中心とした地域は、20世紀初頭に炭鉱で栄えた。地域で最大の規模を誇ったのは、コロラド・フュエル・アンド・アイアン・カンパニー(Colorado Fuel & Iron Company, CF&I)、当時7000人を超える炭鉱労働者を雇い、ロッキー山脈以東では最大の生産量を誇った。しかし、労働環境は劣悪で、当時の標準から考えても事故による死亡、労働環境の悪さによる病気や疲弊が多い、問題のある企業であった。経営者はロックフェラー一族。ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアがニューヨークのブロードウェイにあるオフィスから指揮を執っていた。だが、もともとこの分野は競争が激しく、CF&Iは規模の割には経営状態が芳しくなかったようである。

CF&Iでは、炭鉱労働者を会社が用意した家に住まわせ、医療や学校なども提供した。そう聞くと、随分とよい福利厚生のように聞こえるが、実際には「それしか」選択肢が無かったのである。会社が用意した閉鎖コミュニティに密集した酷い状態の家をあてがわれ、買い物も会社が経営する食料品店しかなく、給料もそこでの買い物券が配布されるだけである。コミュニティの入り口には、ゴロツキと変わらない「守衛」がマシンガンを持って立っており、夜には頻繁に戒厳令がひかれる。もちろん、労働者たちは組合を組織する権利は与えられていない。そして、ロックフェラー一族のように資本と権力に極度に執着している経営者には、そのような問題は些末事でしかなかった。

ジョン・D・ロックフェラー・ジュニア  

度重なる爆発事故や、改善されない労働条件に業を煮やした炭鉱労働者は、炭鉱労働者組合(UMWA)のもと1913年9月にロックフェラーに7つの要求を突き付けて、ストライキに入った。組合を認めること、実質的な賃金値上げだけでなく、「付随の労働(伐採など)にも賃金を」「買い物をする店を自由に選ぶ権利」など、ごく当たり前の要求をしている。だが、ロックフェラーはこれを無視し、全労働者の90%にもあたるスト労働者を追い出した。彼らは、最大の炭鉱地、ルドロー(Ludlow)にテント村を設営して、ストライキを継続した。会社は、私兵や探偵社(ボールドウィン&フェルツ)を使って、ストライキの対応(脅迫、情報収集、スト破り、など)を行った。脅迫にはマシンガンを搭載した装甲車で町を走り、ランダムに撃つ、というのも含まれている。10月にはコロラド州の州兵が現地に派遣され、寒い冬の間、散発的な銃撃戦、度重なる暴力の応酬、が繰り返された。1914年の春に至っては、経営者側は十分な労働者(スト破り)を確保していたようである。ところが州の方は、これだけの州兵を長期間現場に派遣し続けるのは財政的に大打撃であった。1914年4月にはその大部分が散開し、2部隊だけになっていた。

経営者側が使用した装甲車(”Death Special”)
Colorado Coal Field War Projectより)

1914年の4月20日、州兵とスト労働者の間で銃撃戦が始まり、州兵がテント村に放火、スト指導者を射殺した。放火されたテントの焼け跡から数多くの母親と子供の死体が発見された。25人が殺され、うち10人は子供であった。これが「ルドローの虐殺(Ludlow Massacre)」である。

テントに住むスト労働者達
Colorado Coal Field War Projectより)

ケビン・ブランロウ著『純潔の仮面の向こう(Behind the Mask of Innocence)』に、この「ルドローの虐殺」についての記述がある。このなかで、パテ映画社のカメラマン、ビクター・ミラーについての話がある。

ミラーは、パテ映画社のカメラを抱えて、1913年の秋にトリニダードに着いた。そこでこのストライキのニュース映画を撮影するためである。ところがトリニダードの町はすっかり「経営者」にとりこまれていた。ホテルに保安官が現れ、ミラーを脅迫する。「健康でいたかったら、カメラを持ってホテルを出るな、そして明日には町から立ち去れ。」夜、町のバーでスト労働者達と偶然会い、彼らの手伝いでホテルからカメラを持ち出し、ルドローへ。「そこはまさしく戦場だった・・・労働者たちは完全に武装していた。」

その闘争の現場をミラーは撮影する。州兵からの攻撃を受けながら、である。地元の新聞、デンバー・ポストによると「パテ映画社のカメラマン、ミラーは飛んでくる弾丸をもろともせずにカメラのクランクを回し続けた」らしい(もちろん、かなり誇張されているようだが)。撮影した彼は、銃をもった男たちに追い回され、車で逃げたが、「あの時のモデル-Tがもう少し遅かったら、私は今頃トリニダードに埋まっているだろう」と語っている。

私は、このニュース映画は、多分失われたのだろうと思っていた。その後、コロラド各地で上映され、大好評だったが、ロックフェラーたちに押収され、その後の裁判で労働者に不利な証拠として使われたようである。しかし、たまたま、このニュース映画を見て、そこにまさしく、このビクター・ミラーが撮影した、ルドローのスト労働者達の姿を見つけた。

州兵たちのフッテージは誰が撮影したものかは、不明である。この1分にも満たないフィルムが、その後のアメリカの労働組合運動を大きく変えたと言われる、ルドローのストライキの唯一の映像だと思う。

ルドローでのビクター・ミラー
(Moving Picture World 1913年12月6日号)

ちなみに、カメラマンのビクター・ミラーはその後、ビクター・ミルナーと名乗ってハリウッドの撮影監督となった。そう、『極楽特急(Trouble in Paradise, 1932)』、『生活の設計(Design for Living, 1933)』、『レディ・イヴ(Lady Eve, 1941)』の撮影を担当したビクター・ミルナーである。

『マイホーム騒動記(1942)』

次回のUNKNOWN HOLLYWOOD上映作品は『マイホーム騒動記(1942)』。都会のアパート暮らしが気に入っている夫(ジャック・ベニー)と、とにかく由緒正しい歴史のあるものが好きな妻(アン・シェリダン)。その妻が、二百年前の崩壊寸前の田舎の一軒家を夫に黙って購入。初代大統領が泊まった家だと聞いて、すっかりのぼせ上がったのです。曲者の隣人プレスコット、曲者すぎて怖可笑しい地元民キンバー、移り気すぎる妹にどケチな叔父。ちょっと普通じゃない人たちが、皮肉屋ジャック・ベニーの皮肉を焼いて食う、そんな映画です。

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動くカメラ (8)

『戦艦くろがね号』で使用された船上撮影用リグ

『戦艦くろがね号(Old Ironsides, 1926)』は、19世紀の地中海で海賊船と戦う帆船を舞台とした歴史活劇です。この映画のアクションシーン撮影の大部分は実際の船の上で行われました。撮影監督のアルフレッド・ギルクスは、ここで特別な装置を開発します。油圧で調整されたリグで、この上に三脚で固定されたカメラを設置しています。

ギルクスは、船の甲板の上に普通に三脚を立ててカメラを置くと、船の揺れが表現できないと考えました。

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映写技師の問題

以下は「映写技師の問題」と題された1926年の論文からの抜粋(翻訳:筆者)です。著者はルイス・M・タウンゼント、イーストマン劇場の映写部長です。当時、イーストマン劇場と言えば、アメリカ国内でもトップと呼ばれたクオリティの高い映画館でした。その映画館の映写技師のグループを束ねていた人物による、その当時の問題意識です。

今の私の最大の問題は、1000フィートの週替りプログラム、2000フィートのコメディ、8000フィートの長編映画を2時間のプログラムに詰め込まないといけないと言うことだ。この2時間には、この他に8分か10分の序曲の演奏と、5分か10分くらい別のショーがある。これを映写速度を上げずにやらないといけない。イーストマン劇場では、これだけのプログラムを組まないと十分に楽しいものにならないと考えている。では、どうするか?標準スピードの1分当たり80フィート(約21fps)ではなく、1分当たり90から100フィート(24fpsから約27fps)で映写する。全部で120分しかない。しかも10分は演奏、10分はショーにとられ、映画には100分しかない。これだと9000フィートしか見せられない。そこで、コメディを1200フィートくらいにまで減らし、長編映画からは1000フィート分を減らす。これらはおおよその目安だが、プログラム全体では9000フィートを超えるわけにはいかないのだ。これをどうするかと言えば、--切るのである。これは易しい仕事ではない。私たちはこうしている。まず、支配人、音楽監督、そして私で最初に試写をする。その後、何を削れるか議論をする。この段階で、私は長さにしてどれくらい削れるか見当をつける。そして映写スピードと長さが決められる。そこでこの情報を記したメモを作って保存しておく。上映の段階になってプリントを受け取ると、もう一度上映して必要な編集(カット)をする。これは大体6時間から7時間かかる。製作者や配給(film exchange)は映画を切られるのを嫌がる。だが、彼らが長編映画を7000フィート以上で出してきたり、1000フィートにしたほうが面白いコメディを2000フィートで出してきたりする以上、こちらは切り続ける。もちろん、私たちは、映画のある部分をごっそり1000フィートも2000フィートも切ってしまうわけではない。リールごとに見ていって、ストーリーに直接関係無いような事柄や不必要なディテールや尺あわせをカットするのだが、これが結構たくさんあるのだ。

この論文の後に、映画技術者協会のトップたちとタウンゼント氏による議論があります。これはほぼ全部掲載します。

議論

ヒル氏(陸軍)・・・イーストマン劇場が、他でよくやられているように映写速度を極端に速くするようなことをせず、編集をして短くするという大変な思いをしているのだと聞いて嬉しく思う。2時間の映画を無理やり速くして1時間半で見せるような映画館は、観客をだましていると思う。13オンスのバターを1ポンドだと言って売っている八百屋のようなものだ。

クック会長:私は、13オンスを1ポンドだと言って売っている八百屋だとは思わない。客は1ポンド受け取っているが、消化できるよりも速く喉に押し込まれているんだと思う。

パーマー氏(映画製作会社『フェーマス・プレヤーズ・ラスキー』):タウンゼントさんにそのカットについて聞きたいのだが・・・、自分たちでやる代わりに配給にカットしてほしいと頼んだことはないんですか?業界で製作側にいる人間としては、映写技師や映写部長なんかよりも配給のほうがそういうことはまともにできる気がするんだが・・・

タウンゼント氏:私たちは一度配給にカットを頼んだことがあります。あまりに酷かったのでそれ以降はもう頼まないことにしました。配給はただ映画の一部分を500フィートまるごとカットして、ストーリーが一部分なくなってしまったんです。見た人はみんな気づきました。我々は判断しながらカットします。ある映画から500フィート分をカットしたいのなら、私は非常に気を使いながら、リールごとに少しずつ切り出します。私は試写の時に一度見て、その後もう一度リールごとに見ます。記憶に頼って、長編映画を作業したりしません。ストーリーを一部分まるごとカットしたり、ストーリーにとって重要な出来事をカットしたりしないようにしています。脇の演技とか明らかに尺を埋めようとしたところとかを削除するんです

デニソン氏(映画製作会社『フェーマス・プレヤーズ・ラスキー』映写担当):私は劇場側で映画をカットする権利などないと思う。映画はスタジオで適切に編集され、完璧な形なのだ。映写技師に映画を再度カットする資格などない。配給でさえ、検閲にかかったところをカットする以外には何もしない。劇場で映画をカットしないように過去にも何度も言ってきた。もし映画が長すぎたり、尺あわせをしているようだったら、製作側に話をもってくるべきだ。劇場で訳も判らない切り方をされては、映画のストーリーの価値がなくなってしまう。

リチャードソン氏(映画雑誌『モーション・ピクチャー・ワールド』編集):私は、切らないでそのままのほうがいい映画など見たことがない。尺あわせみたいなことをするせいで、時事ものや長編やコメディを限られた時間で上映しないといけない多くの劇場が困っている。上映時間は支配人が詰め込みたいプログラムにはとても入りきらない。私は言い続けてきたし、またここでも言うが、有能な映写技師の最も重要な仕事の一つが、映画をみて、もうどの映画にもくっついている要らない部分を切り落として、映写スピード上げずに時間内に上映することだと思っている。

出典
Lewis M. Townsend, “Problems of a Projectnist”, Transactions of the Society of Motion Picture Engineers, 10, p.7 (1926)

動くカメラ (7)

カメラを動かすこと自体は映画の黎明期から行われていたのですが、ハリウッドでそれがより自由度を増すのは1920年代の後半になってからです。その最大の理由が「モーター」でした。今まで紹介してきた様々な動くカメラのシーンの撮影においても、大部分がモーターでカメラの駆動しています。

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動くカメラ (6)

サイレント映画の長回しはなぜ短いのか

ムルナウの『サンライズ(Sunrise, 1927)』が当時のハリウッドの関係者、特にフォックスにいた監督やカメラマンに与えた影響は非常に大きかったと言われています。特にフランク・ボゼージとジョン・フォードは、その影響が非常に如実に映像に表れています。

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動くカメラ (5)

本当にカメラは解き放たれたのか

サンライズ Sunrise (1927) F・W・ムルナウ監督 “Fluid Camera”

F・W・ムルナウはドイツで『最後の人(Der Letze Mann, 1924)』を監督しました。この作品で、カール・フロイント(撮影)とともに非常に独創的なカメラ・ムーブメントに挑戦し、それは “die entfesselt Kamera(飛ぶカメラ)”と呼ばれていました。

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