『タクシー・ドライバー』とPTSD

『タクシー・ドライバー』を見直す

先日、ロナルド・レーガン大統領(当時)を狙撃したジョン・ヒンクリー・Jr が収監されていた病院から退院し、自由の身になるという発表があった。ヒンクリーは1981年3月、レーガン大統領暗殺を単独で企てて失敗、ただし精神鑑定で責任能力がないとされて無罪、ワシントンD.C.の聖エリザベス病院に収監された。彼は『タクシー・ドライバー(Taxi Driver, 1976)』を見てジョディー・フォスターを気に入り、イエール大学に在籍していた彼女をストーキングするまでになった。レーガン大統領の暗殺も、ジョディー・フォスターに気に入ってもらうために実行したと証言している。もちろん、ヒンクリーにロバート・デニーロが演じたトラヴィス・ビックルを重ねてみてしまうのはやむを得ないことだろう。

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もしあなたが製品に金を払っていないなら、あなたは原材料だ

her (2013)

If you are not paying for it, you became a product.

もしあなたが製品に金を払っていないなら、あなたが製品だ。

これは数年前にネットで頻繁に引用された言葉である。何を意味しているか。私達一般ユーザーが、GoogleやFacebookなどの無料サービスを使うと、その行動はデータとして蓄積され、広告主に売られている。私達は確かに「ユーザー」かもしれないが、課金せずにこれらのサービスを使用しているのだから「カスタマー」ではない。これらのサービスにとってのカスタマーは、ユーザーのページに表示される広告主である。もちろん、サービスの種類によっても違うが、SNSはその大半が広告収入によって成長している。検索ボックスに語句を入力するたび、リンクをクリックするたび、スマートフォンでワイプしたりフリックしたりするたび、私達のその行動がデータとして蓄積され分析される。その結果が広告主に様々な形で利用され、広告のトリガーとなる。正確には私達は製品になるのではないのかもしれない。製品の原材料になるのだろう。

これは何も今に始まったことではない。冒頭の警句自体はリチャード・セラ(1938-)が1973年に製作した”Television Delivers People”というビデオアートに登場する。

The Product of Television, Commercial Television, is the
Audience.

Television delivers people to an advertiser.

テレヴィジョン、商業テレヴィジョンの製品は視聴者である。

テレヴィジョンは人々を広告主に届ける。

多くのTVやラジオはスポンサーがカスタマーであり、広告が収入源である。私達は「視聴者」という名称を与えられ、どのような番組を好むかということを常に調べ続けられている。

インターネットの登場によって、それが変わるかと思われたが、そんなことはなかった。私達は「ユーザー」となり、購買欲求や「つながり/友達」の情報をタダで大企業に渡すようになった。私達はそのことをすっかり忘れ、Googleの検索ボックスに他人には決して告げないことを入力し、誰にもクリックしているところを見られたくないリンク先をクリックし、カチンときたTweetの元の発言をたどっていき、SNSでエゴサーチをして誰か自分の悪口を言っていないか気にしたりする。私達は、「ネットで検索」が存在しない世界を想像できなくなり、LineやTwitterやSnapchatが最もモダンなコミュニケーションのあり方だと思っている。そのモダンなコミュニケーションは、コミュニケーションのふりをして、私達を売り渡しているにすぎない。

スパイク・ジョーンズ監督の『her(2013』では、近未来のロサンジェルスを舞台に、AI(人工知能、Artificial
Intelligence)のサービスに恋愛をしてしまう男セオドア(ホアキン・フェニックス)の彷徨が描かれる。スパイク・ジョーンズらしく、セオドアの職場や自宅、取り巻く環境などの様々なディテールは奇妙な信憑性を帯びていながら、全体としては寓話として提示されている。「リアル」な人間との関係よりも、常にレスポンシブで、自分のエゴを満足させてくれる(ように設計された)AIのサマンサに、セオドアが、そしてこの映画の中にいる何千の人間が、惹かれていく様子をこともなげに描いている。だが、このセオドアの様子を見て、なぜこのAIを開発した企業をそこまで信頼できるのか不思議に思わざるをえない。

『her』は極度に自己陶酔した世界観のありさまを、その外側から俯瞰することを絶妙に避けながら描いている。だから、OS1が進化して離れていった時も、その事件はセオドアやエイミーにとっての極私的な事象として描かれている。私達ユーザーがごく自然に疑問に思うであろう、「なぜサービスが終わったのか」という問いを彼ら自身が真摯に想起することもない。人智を超えた事象(シンギュラリティ)が起きたと思わせるラストではあるが、その事自体は特にセオドアやエイミーの世界には関係がない。

確かに、この寓話は私達のコミュニケーションのあり方を最も私的なレベルで問い直す姿勢を持っている。すなわち、自己満足の代替手段として濫用されるネットワーキング(つながり)だ。それは時に陶酔的で、一方で不満と焦燥の共振現象にもなり、時にはセラピー効果があるようで、しかし頻繁に暴力と悪意に満ちている。だが、そのコミュニケーションにAIが参加してくることが根本的にもつ、最も歪(いびつ)な意図は問いただされないで終わってしまう。

現在、多くの企業がAI(人工知能)を開発している。そのなかでも群を抜いて進んでいるのが、Google、IBM、Apple、それにFacebookといったIT企業である。なぜ、彼らがそこまで投資してAIを開発するのか。AIをデモンストレーションすることによって、自らの技術力の高さをアピールすることが目的ではない。GoogleはAIを碁のゲームを売り出したいのだろうか?IBMはクイズ番組で人間に勝つAIを売り出したいのだろうか?もちろん違う。ましてや「シンギュラリティ」にいち早く到達して、すべての知的活動をAIに肩代わりさせる帝国を作るわけでもない。もちろん、GoogleやFacebookの場合は彼らのコアビジネスである、広告事業に応用することを考えている。

「チューリング・テスト」の定義からして「人間を装う」という宿命を背負っているAIは、SNSの広告産業において重要な役割を果たす。

かつてFacebookが、彼らの「本当の」顧客から強く言われたことが「どのようにしたら私達の広告がFacebookのユーザーに確実に届くのか考えろ」だった。単にページの隅っこにバナーを出しても無視されるだけである。そこで、ユーザーの友達が、バナーになり変わって、「これいいね」と紹介してくれるような仕組みが編み出されていく。その第一段階がニュースフィードだった。人間は、見知らぬバナーが「高品質、低価格の新製品」「いま大人気のイタリアンレストラン」といくら騒いでも無視してしまうが、自分の「友達」がその製品やレストランのサイトに「いいね」をすると、とたんに興味をしめすものである。そう、Facebookの顧客は「友達」に広告塔になってもらいたいのだ。そしてその延長線上にある開発中のAIはまさしく「友達」を装った広告の装置として設計されている。チャットボットのAPIが公開され、その実験が始まっている。このチャットボットはまだ多くの課題を抱えているし、単なる「オモチャ」のようにみえるが、もちろんそれも加速度的に改善されていくであろう。その開発には、私達「原材料」のオンライン上の行動データが使用される。

Facebookにとっては、私達は実験用ラットだ。[1]

『her』が公開された数カ月後、Facebookが50万人ものユーザーのニュースフィードを意図的に操作して、ユーザーの反応についてデータを集積し研究していたことが明らかになった。これは倫理的に許されざる行為として批判を集めたが、Facebookがなぜそんな研究をわざわざ発表したのか、というのは不思議である。このような「ビッグ・データ(なんてバカげた用語だろう)を用いた分析」は、私達があずかり知らないところで頻繁に実施されているし、その中には倫理的に問題のあるものもあるだろう。Googleは、私達についてのデータをできるかぎり集めて、そのデータを元に検索結果を並べ替えている。Twitterのタイムラインの仕様が頻繁に変更されるのも、表示するものを変更してユーザーの反応を見ているのだ。何のためにそんなことをしているかといえば、より良い製品を、より効率的に、広告主に届けるためである。

こんなことは当たり前のことなのだが、私達はインターネットが私達に与えた影響、ソーシャル・ネットワークの私達へのインパクト、というと、私達「原材料」同士のコミュニケーションの問題に還元しがちである。たとえば多くのエンターテーメント映画がソーシャル・ネットワークを題材として扱うが、そのほとんどがこの私達の間で起きる「インタラクティブな」犯罪や恋愛や悲喜劇である。YouTubeとかSkypeとか具体的なサービスプラットフォームさえ登場するが、そこでの私達「原材料」の化学反応についての興味ばかりが拡大される。そうでなければ、いかにNSAがネットを介して私達を監視しているか、とか、いかにハッカーが私達に関するデータを入手し、テロリストがいかに簡単に世界を脅かすか、といった類の話である。私達の目の前にいる、巨大なデータの大食漢はなぜか目に入らない。

前述のリチャード・セラの『Television Delivers People』はテレビのコマーシャルがもたらす社会的状況を告発する作品でありながら、テレビで放映されることを目的に製作された。テキサスのアマリロで放送終了時に流して反応を見た後、放送法に準拠するために検閲許可まで受けている。この時に「反広告(anti-advertisement)」に分類されたとセラはインタビューで語っている[2]。私にはこの「反広告」という分類がどういうものなのか判然としなかったが、セラによれば「広告もあるのだから、反広告もあるのだ。同じ時間(流せばいい)」ということらしい。『Television
Delivers People』は、青い画面に、テレビ広告のあり方を告発する文章がスクロールしていくだけの映像である。ブルーの画面に黄色の文字というのは、「見やすい組み合わせ」だから選ばれ、文章そのものはキャラクター・ジェネレーターで作成されたものだ。バックに流れるのはエレベーターミュージック。テレビ製作のすべての装飾を剥ぎとったテレビ番組だからこそ、最も鋭くテレビの装飾に潜む動機とその結果を批判できる。

『her』よりも40年前に製作されたこの作品のほうが、今の私達と、私達の目の前のメディアのあり方についての極めて深刻な問題を投げかけてくる。私達は、SNSだろうがAIだろうが、自己満足のために関わっているつもりでいるが、そうではない。原材料になって、そしてより反応を起こしやすい、製品を効率的に作りやすい、原材料に変性していく過程にいるのだ。

[1] V. Goel, “Facebook Tinkers With Users’ Emotions in News Feed Experiment, Stirring Outcry,” The New York Times,
29-Jun-2014.

[2] R. Serra, C. Weyergraf-Serra, and H. R. Museum, Richard Serra, Interviews, Etc., 1970-1980. Hudson River Museum, 1980.

ルドローの虐殺

D・W・グリフィスの大作『イントレランス(Intolerance, 1916)』の「現代篇」は、経営者による賃金カットに反発した工場労働者のストライキ、そしてその悲劇的な結末で幕を開ける。なかでも、ストライキ鎮圧のために武装した部隊が投入され、ピケを張っている労働者の一群に機関銃掃射を撃ちこむシーンは、過剰な暴力のあまりの呆気なさに唖然としてしてしまう。

このシーンは、『イントレランス』の公開数年前にコロラド州の南部で起きた実際の事件を元にしている。コロラド州のトリニダードは、ニューメキシコ州との州境に近い、小さな町である。この町を中心とした地域は、20世紀初頭に炭鉱で栄えた。地域で最大の規模を誇ったのは、コロラド・フュエル・アンド・アイアン・カンパニー(Colorado Fuel & Iron Company, CF&I)、当時7000人を超える炭鉱労働者を雇い、ロッキー山脈以東では最大の生産量を誇った。しかし、労働環境は劣悪で、当時の標準から考えても事故による死亡、労働環境の悪さによる病気や疲弊が多い、問題のある企業であった。経営者はロックフェラー一族。ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアがニューヨークのブロードウェイにあるオフィスから指揮を執っていた。だが、もともとこの分野は競争が激しく、CF&Iは規模の割には経営状態が芳しくなかったようである。

CF&Iでは、炭鉱労働者を会社が用意した家に住まわせ、医療や学校なども提供した。そう聞くと、随分とよい福利厚生のように聞こえるが、実際には「それしか」選択肢が無かったのである。会社が用意した閉鎖コミュニティに密集した酷い状態の家をあてがわれ、買い物も会社が経営する食料品店しかなく、給料もそこでの買い物券が配布されるだけである。コミュニティの入り口には、ゴロツキと変わらない「守衛」がマシンガンを持って立っており、夜には頻繁に戒厳令がひかれる。もちろん、労働者たちは組合を組織する権利は与えられていない。そして、ロックフェラー一族のように資本と権力に極度に執着している経営者には、そのような問題は些末事でしかなかった。

ジョン・D・ロックフェラー・ジュニア  

度重なる爆発事故や、改善されない労働条件に業を煮やした炭鉱労働者は、炭鉱労働者組合(UMWA)のもと1913年9月にロックフェラーに7つの要求を突き付けて、ストライキに入った。組合を認めること、実質的な賃金値上げだけでなく、「付随の労働(伐採など)にも賃金を」「買い物をする店を自由に選ぶ権利」など、ごく当たり前の要求をしている。だが、ロックフェラーはこれを無視し、全労働者の90%にもあたるスト労働者を追い出した。彼らは、最大の炭鉱地、ルドロー(Ludlow)にテント村を設営して、ストライキを継続した。会社は、私兵や探偵社(ボールドウィン&フェルツ)を使って、ストライキの対応(脅迫、情報収集、スト破り、など)を行った。脅迫にはマシンガンを搭載した装甲車で町を走り、ランダムに撃つ、というのも含まれている。10月にはコロラド州の州兵が現地に派遣され、寒い冬の間、散発的な銃撃戦、度重なる暴力の応酬、が繰り返された。1914年の春に至っては、経営者側は十分な労働者(スト破り)を確保していたようである。ところが州の方は、これだけの州兵を長期間現場に派遣し続けるのは財政的に大打撃であった。1914年4月にはその大部分が散開し、2部隊だけになっていた。

経営者側が使用した装甲車(”Death Special”)
Colorado Coal Field War Projectより)

1914年の4月20日、州兵とスト労働者の間で銃撃戦が始まり、州兵がテント村に放火、スト指導者を射殺した。放火されたテントの焼け跡から数多くの母親と子供の死体が発見された。25人が殺され、うち10人は子供であった。これが「ルドローの虐殺(Ludlow Massacre)」である。

テントに住むスト労働者達
Colorado Coal Field War Projectより)

ケビン・ブランロウ著『純潔の仮面の向こう(Behind the Mask of Innocence)』に、この「ルドローの虐殺」についての記述がある。このなかで、パテ映画社のカメラマン、ビクター・ミラーについての話がある。

ミラーは、パテ映画社のカメラを抱えて、1913年の秋にトリニダードに着いた。そこでこのストライキのニュース映画を撮影するためである。ところがトリニダードの町はすっかり「経営者」にとりこまれていた。ホテルに保安官が現れ、ミラーを脅迫する。「健康でいたかったら、カメラを持ってホテルを出るな、そして明日には町から立ち去れ。」夜、町のバーでスト労働者達と偶然会い、彼らの手伝いでホテルからカメラを持ち出し、ルドローへ。「そこはまさしく戦場だった・・・労働者たちは完全に武装していた。」

その闘争の現場をミラーは撮影する。州兵からの攻撃を受けながら、である。地元の新聞、デンバー・ポストによると「パテ映画社のカメラマン、ミラーは飛んでくる弾丸をもろともせずにカメラのクランクを回し続けた」らしい(もちろん、かなり誇張されているようだが)。撮影した彼は、銃をもった男たちに追い回され、車で逃げたが、「あの時のモデル-Tがもう少し遅かったら、私は今頃トリニダードに埋まっているだろう」と語っている。

私は、このニュース映画は、多分失われたのだろうと思っていた。その後、コロラド各地で上映され、大好評だったが、ロックフェラーたちに押収され、その後の裁判で労働者に不利な証拠として使われたようである。しかし、たまたま、このニュース映画を見て、そこにまさしく、このビクター・ミラーが撮影した、ルドローのスト労働者達の姿を見つけた。

州兵たちのフッテージは誰が撮影したものかは、不明である。この1分にも満たないフィルムが、その後のアメリカの労働組合運動を大きく変えたと言われる、ルドローのストライキの唯一の映像だと思う。

ルドローでのビクター・ミラー
(Moving Picture World 1913年12月6日号)

ちなみに、カメラマンのビクター・ミラーはその後、ビクター・ミルナーと名乗ってハリウッドの撮影監督となった。そう、『極楽特急(Trouble in Paradise, 1932)』、『生活の設計(Design for Living, 1933)』、『レディ・イヴ(Lady Eve, 1941)』の撮影を担当したビクター・ミルナーである。

1920年代の3D映画

3D映画は、ハリウッド映画史上において1950年代に最初にブームを迎えたとされていますが、実は1920年代に一度ブームを迎えているのです。この時期の3D映画は、今となってはその完成度や影響力を把握しにくいものになっています。というのも、そのほとんどが消失してしまっているからです。

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疲労困憊の3D映画(1)

3D映画の伸び悩み

今年はじめからいくつかの記事で「3D映画が観客に飽きられ始めている」ということが言われています。モルガン・スタンリーの分析では、2011年のピークから3D映画の売上げは下がり続け、それにあわせて3Dの公開本数も減少しています。BFIの調査では、劇場で2Dよりも3Dを選ぶ観客の比率がこの数年で減少しており、3D映画への期待が薄れていることを示しています。

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カメラが多すぎる

イントゥ・ザ・ストーム(Into the Strom, 2014)」を観たのだが、何かがしっくりこない。いや、別に期待していたわけではない。これはアメリカ国内では頻繁に起きるトルネードを題材にした、パニック映画だ。それ以上の期待はしていなかった。むしろ、そこそこのプログラム・ピクチャー、アクションとイメージが売り物のハリウッド製品、90分で楽しんだら、次の週には題名も覚えているか怪しいような、それで構わない映画を期待していた。しかし、もう一週間以上経とうかと言うのに、題名どころか色んなものが引っかかったまま、残ってしまった。「ファウンド・フッテージ」ものとして始まったはずなのに、途中でカメラのPOVに統一性がなくなって、サウンドトラックもNon-Diegeticになるような破綻が見られるから、そのいい加減さに呆れたのか?そういう部分もあるが、それよりももっと痛々しい感じがしたのだ。人物造形があまりに単純で薄っぺらいからだろうか?この映画並みか、それ以下の人物造形の映画はざらにある。ご都合主義の脚本も、科学的に怪しいあれもこれも、そんなのは承知のうえだった。この映画が、そういう問題を抱えることになった、もっと奥底の理由があるような気がする。
この映画の撮影自体は2012年に完了している。映画の企画自体はもう少し前からあっただろう。この映画の企画が進められる背景には、2012年以前に「ストーム・チェーサー」というリアリティTV番組がそこそこ人気があった事が大きく影響しているはずだ(日本では「追跡!竜巻突入チーム」という題名で放映されていたらしい)。これは、実際にアメリカの各地で発生するトルネードの映像を撮ろうとする「命知らずの追っかけ屋(ストーム・チェーサー)」に密着して、「科学調査」の名の下に行われる、彼らの勇敢/無謀な行動をTV番組に仕立てたものだ。映画に出てくるトルネード撮影用特殊装甲車「タイタス」も、この番組内で登場する装甲車がモデルになっているのは一目瞭然である。だが、この番組も人気が下降して、2012年に終了してしまう。「イントゥ・ザ・ストーム」の撮影が進んでいる頃だ。
SRV Dominator
ディスカバリーチャンネルの「Storm Chaser」にも登場した装甲車
Wikipediaより)
翌年の2013年5月には超弩級(EF5という)のトルネードが二つもオクラホマを襲った。そのうちのひとつ、エル・リノの街を襲ったトルネードは、史上最大のサイズとされ、小学校を跡形もなく吹き飛ばし、10トンもあるガスタンクを900mも吹き上げて小学校に叩きつけた。ムーアの町を襲ったトルネードは24人もの犠牲者を出している。こういった実被害が「イントゥ・ザ・ストーム」製作側にどういう影響を与えたかは分からない。しかし、そもそもトルネードのパニック映画を製作する時点で、そういったことは予想していたはずだ。撮影前の2011年に158人もの犠牲者を出したミズーリのトルネードもあるし、そんなことを言ったら、トルネードの被害は毎年ある。トルネード被害者に対して無神経にならないような最低限の工夫は、脚本や演出の上でももちろん施されていた。しかし、このエル・リノのトルネードでティム・サマラスをはじめとする3人のストーム・チェーサーが事故死したことは、製作者側をことさらに敏感にしたかもしれない。ティム・サマラスは「ストーム・チェーサーというよりは気象研究者」という評価が高かっただけに、「イントゥ・ザ・ストーム」の中でのキャラクター達の扱いは再検討されたとしてもおかしくない。
このオクラホマのトルネードの際に一般人が撮影したビデオがいくつかYouTubeにあるのだが、この動画を以前見た記憶があって、「イントゥ・ザ・ストーム」を見た後にふと思い出した。

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Q7X3fyId2U0]
これが印象に残ったのは、今思うとその映像もさることながら「”Loaded Gun” Warning」という言葉だったかもしれない。『弾が込められた銃』警報。気象状況を武器に見立て、いつ殺戮を起してもおかしくないことを、このように表現したのだ。たった3つの単語だが、トルネードが襲う土地が染み付いた言葉だ。オクラホマという、南部の州、銃所持を支持する層が多く、銃規制もゆるい。そして、それが言葉に滲み出して、気象現象に南部のアクセントが聞こえる。
さらにこの映像では、パニックを起した女性が登場する。私がなぜか忘れられないのは、彼女が手にしているコーラのボトルとタバコだった。
あるいは「Ugly」と言う言葉。トルネードを表す形容詞として、「Ugly」が幾度も発せられる。ひとは、突然の危険や事故に遭遇すると、同じ言葉を幾度も幾度も繰り返すことがある。まるで念仏か祈りの言葉のように繰り返す。その言葉を発することで浄化しているかのように。
トルネードが道の向こうでゆっくりと町を破壊している、その強烈な映像よりも、そんな些細なことのほうが引っかかって残ってしまった。このYouTubeのページで右の「おすすめ」を見ればわかるようにトルネードの強烈な映像はもっと他にもたくさんある。多くの人が手にカメラを、スマートフォンを持って、自分の住んでいる場所の向こうを通り過ぎる「弾が込められた銃」を撮影している。
カメラが多すぎるのだ。
何も誰かが手に持っているカメラだけではない。むしろ、全世界で最も大量の映像を撮影しながら、その大部分は人間に見られることなく削除されているカメラの一群がある。セキュリティ・カメラ、CCTVだ。
このオクラホマのトルネードでも、小学校のCCTVに撮影された映像が残されていて、YouTubeで閲覧することができる。

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=bJPGuMfnty4]
トルネードを撮影するために設置されたわけではない。だから、クリーンな映像ではないし、アングルも光量も「トルネードの破壊力を見る」にはベストではない。けれども私達はその前提を理解しているがゆえに、そのすさまじさを思考の中で増幅してしまう。
実は「イントゥ・ザ・ストーム」は、映像を取り巻くこういった環境について非常に意識的だ。卒業式で、ほぼ全ての卒業生達がスマートフォンで校長のスピーチを撮影している。センセーショナルな動画を撮影して、YouTubeでのヒット数を稼ぐことだけに人生を費やしている二人組の男。高校にトルネードが押し寄せるときには、CCTVの映像が挿入され、主人公の兄弟は、タイム・カプセルに入れるためのビデオを撮影している。この兄弟やストーム・チェーサーのビデオが折り重なるようにして、ストーリーが展開するのだが、どこか優柔不断なままつなげられていく。手持ちカメラはいつもほぼ完璧なフレーミングだ。素人のカメラワークのような、撮影者の靴が何分も写っていたり、天井が写されたまま会話が進行したり、指が画面の半分を覆ったままトルネードが写っていたりするようなことはない。本人達がカメラの存在を忘れてしまっているであろう場面でも、カメラはちゃんとフレーム内にアクションを捉えている。CCTVもトルネードの破壊力を見せ付けるべく特等席に設置されている。迫り来るトルネードを撮影したビデオでも、会話はちゃんと聞こえ、マイクを襲う強風のノイズは聞こえない。登場人物たちも「逃げろ!」と叫ぶ。「下がれ、下がれ、下がれ、下がれ・・・・下がれ、下がれ、下がれ、下がれ!」ではない。トルネードを撮影するためにTV局はヘリコプターを飛ばし、「警報が発令されました」と報道するが、「弾が込められた銃警報」とは言わない。
そうするしかなかったのだろう。靴が映ったまま3分も会話が流れるような映像にするわけにもいかないし、「撮影範囲の廊下の角を曲がったところが吹き飛ばされたので、特に何も写っていないCCTV」設定にはできない。ハリウッドの映画に求められているのは、そんなことではなくて「プロフェッショナルな」エンターテーメントだ。カメラは特等席でなければならない。あるいはハリウッドはそういうものを観客は求めていると思っている。しかし、この氾濫するカメラとそれがとらえ続けている映像について意識すればするほど、プロフェッショナルであること、特等席のカメラは弱点になっていってしまう。結局、見所をつくるとすれば、飛行機が巻き上げられるとか、炎の竜巻とか、あるいは「オズの魔法使(Wizard of Oz, 1939)」みたいにトルネードに巻き上げられて「別世界」を見てくるとか、そんなところになってしまう。

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=WhQySxqSANU]

この映画はアメリカではすこぶる評判が悪い(Rotten TomatoのTomatometerは21%)。理解できる。彼らにとっては、トルネードの驚異/脅威はわざわざVFXで見直さないといけないものではない。ましてリアリティTVやYouTubeに氾濫する映像の「不完全さ」が、それを真似しきれないハリウッド映画をあざ笑っているように思える。

彼らの名前はもうわからないが、それはそれでかまわない

フィルム・ノワールに関する評論や映画史に関しての記述や書籍を読むと、そのビジュアルの分析においてオーソン・ウェルズの「市民ケーン(1941)」の影響はほぼ必ず言及されます。そして、「市民ケーン」の撮影監督であったグレッグ・トーランドの高い技術力と芸術性が重要な要素であることも同時に語られます。さらにその技術についての記述でフィルムの感度向上とレンズの高スピード化などが、大抵3行ほど述べられます。たとえば、

映画のヴィジュアルに影響を与えた別の要因は、1930年代後半のカメラと照明の技術開発であった。より感度の高いフィルム、(光の透過率を非常に向上させた)コート・レンズ、そしてより強力な照明である。

– ‘Film Noir, Introduction’, Michael Walker, in “The Book of Film Noir”, edited by Ian Cameron, The Continuum Publishing Company, 1992

撮影監督グレッグ・トーランドが(中略)使用してきた高感度フィルム、広角レンズ、ディープ・フォーカス、天井が映り込むセットなどをすべてこの一作に注ぎ込む「大規模な実験の機会」であり、同時代ハリウッドの規範への侵犯ととらえていたことは、1941年にトーランド自身が書いた記事の題名「いかに私は『市民ケーン』でルールを破ったか」にも現れている。

吉田広明「B級ノワール論」p.49、注20

他にも、フィルム・ノワールに関する本にはこれくらいの記述が必ず出てくるでしょう。そしてこの数行をやりすごすと、そこから大々的に「フィルム・ノワール」について分析が繰り広げられるわけです。しかし、この「高感度フィルム」や新しい「レンズ」「強力な照明」とはいったいどんなものだったのでしょうか。

ひとつ前提として考えておかなければいけないのは、撮影監督の役割です。彼らは、カメラで映像を撮影する際に、監督が要求している映像が間違いなく記録されるかどうかを、まず技術的に保証する役割を担っています。そのために、照明やフォーカス、発色など撮影の光学的な側面については絶対的な責任を負わされています。特にフィルム撮影の時代においては、現像してラッシュ(編集前のプリント)が見られるまでに時間がかかりますし、コストもかかります。ラッシュの段階で「露出が足りなかった」「色が間違っていた」という光学的なミスがあれば、それは撮影監督の責任です。必然的に撮影監督はより安全なほう、リスクの少ないほうにシフトするとしてもやむを得ません。それでも多くの優秀な撮影監督は、大胆な照明やアングル、移動撮影を可能にしてきたわけです。ただ、1930年代においては技術的な選択肢が少なく、またスタジオシステムの分業制の制約もあり、撮影監督の間では、「濃いネガ(明るい照明)」が好まれ、露出不足を避けたのも事実です。

高感度フィルム

1940年代のハリウッドでは、フィルム・ストックはコダックとデュポンが独占していました。この2社がほぼ同時に1938年に新製品を導入します。コダックは「Plus-X」と「Super-XX」、デュポンは「DuPont II」と呼ばれるネガフィルムです。たとえば、サイレント末期に導入され、1930年代の中心的なネガフィルムだった、コダックの「Super Sensitive Panchromatic」の感度は25 Weston(ASA 32)でした。感度を向上させた「Plus-X」は40 Weston (ASA 50)、「Super-XX」は80 Weston(ASA 100)です。80年代、90年代の最後のフィルム全盛期に使用されていたのが、ASA100、200、400くらいであったことを考えると、まだまだ非常に不利な条件で撮影が行われていたことがわかると思います。しかし、当時この高感度化は画期的であり、1940年には「Plus-X」が標準のネガ・ストックになります。

当時のハリウッドの撮影監督の撮影状況については、1940年7月の「American Cinematographer」誌に掲載されたウィリアム・スタル A.S.C.の記事が良い手がかりになるでしょう。この記事でスタルは各メジャースタジオの撮影監督の撮影条件を調査しています。撮影監督ごとに、照度(Footcandlesという単位ですが10倍すればルクスになります)、フィルム・ストック、f値が記録され、表にまとめられています。データはその年の5月から6月の間のスナップショットであって、決して絶対的なものではありません。そのときのシーン、ロケかスタジオか、映画の種類によって、これらの値は大きく左右されます。しかし、全体的な傾向や、スタジオごとの特徴を知るには非常に参考になります。たとえば、MGMの撮影監督達の照度は一様に高く、非常に明るい画面が求められていることがわかります。それはこの時期のMGMの作品に如実に現れているといえるでしょう。一方、ワーナー・ブラザーズの撮影監督達は二ケタ台の照度を採用しているケースが多く、ジェームズ・ウォン・ハウは、極端なローキーで撮影しています。二十世紀フォックスは「スタジオとしての条件管理システム」があり、それに則ったスタジオ測定値平均が記されています。そして1940年には、撮影監督達は「Plus-X」か「DuPont II」のネガストックを使用していることが分かります。

グレッグ・トーランドは「市民ケーン」で「Super-XX」のネガストックを使用することで、f8、f16といったストップまで絞ることができ、ディープ・フォーカスを達成したと述べています。1940年代に、「Super-XX」の使用がどこまで普及したかははっきりとは分かりませんが、メジャーのスタジオでローキー/ディープフォーカスの画面を達成する際には選択肢として存在していたわけです。

ハイスピード・レンズ

1930年代における光工学の分野での重要な進展のひとつに光学膜の開発があります。反射膜、反射防止膜が開発・商品化されたおかげでミラーやレンズの性能が一気に向上しました。

特に1938年に、ドイツのツァイスとアメリカのカリフォルニア工科大で独立に開発された反射防止膜は、それまでのレンズの欠点を緩和し、写真、映画の表現の幅を広げる重要な役割を果たします。これは、真空蒸着法という方法でフッ化物(MgFなど)の極薄膜(200ナノメートル以下)をレンズ表面に形成することで、レンズと空気の界面で起こる反射を抑制するものです。当時は「Treated Lens」と呼ばれており、上記「American Cinematographer」の記事にもセオドア・スパークール、ウィリアム・オコネルが使用していると述べられています。

反射防止膜の効果を分かりやすく解説している記事が「Journal of Society of Motion Picture Engineers」誌、1940年7月号に掲載されています。挙げられている効果として、「透過率の向上」「コントラストの向上」「分解能の向上」「フレアの低減」などが挙げられています。カメラのレンズは複数のレンズが組み合わさったものです。入射した光の一部がレンズ表面で反射されると別のレンズの表面に到達し、さらにその一部が反射され、と、ピンポンのように光が反射され続けます。そのようにして光がフィルム上に到達するときには、複数回反射した迷光が画面全体に現れてしまい、灰色のバックグラウンドとなってしまいます。ゆえにコントラストが失われ、細い線のなどもバックグラウンドに埋もれてしまい(分解能が失われ)ます。反射防止膜のおかげで、灰色のバックグランドは著しく低減され、コントラストが上昇するとともに、フォーカスも合わせやすくなりました。また、光源がフレーム内に入っているとき、レンズ間の反射が原因で「フレア」という現象が起きます。反射防止膜はこれらのフレアを抑制する効果もあります。

上は反射防止膜なしのレンズ、下は反射防止膜付のレンズで撮影
コントラスト、細い線の再現性に差が現れている
左は反射防止膜付のレンズ、右は反射防止膜なしのレンズによる撮影。
光源からのフレアが左のレンズでは抑制されている
左が反射防止膜なしのレンズ、右が反射防止膜付のレンズによる撮影 照明条件は同一。

フィルム・ノワールの「キアロスクロ(Chiaroscuro)」と呼ばれるコントラストの強い映像には、このハイスピードレンズの果たした役割は大きいと思われます。また、ジョン・オルトンなどの撮影監督が好んで強い光源をフレーム内に配置したりしましたが、フレアを起こしにくいレンズであれば安心して構図が作れたでしょう。

強力な照明

スタジオでの撮影の場合は、照明装置、電源、照明の設置方法について特に困ることはありませんが、ロケーション撮影となると、照明は手軽でかつ十分な光量を一般の電源で確保しなければならなくなります。1930年代に「フォトフラッド(Photoflood)」と呼ばれる電球が導入され、明るい照明を120V電源で確保できるようになります。これはロケーション撮影などでも強力な照明を可能にしたのですが、第二次世界大戦への参入で国内の電球配給は軍事用が最優先となり、ハリウッドでもフォトフラッドを入手するのが困難になります。戦後、供給制限が解かれると一気に撮影現場での使用が増えるのです。

科学、技術そして標準化

上記「American Cinematographer」の記事に、メーター(露出計)使用の広がりについて記述があります。34人の撮影監督のうち、22人は必ず使用しており、5人は使用したことがない、ということでした。調査時にメーターを使用していない撮影監督には、ジェームズ・ウォン・ハウとスタンリー・コルテズがいます。ハウはサイレント初期からカメラを覗き込んでいたベテランですから、メーターよりも膨大な経験に基づいて判断していたのでしょう。しかし、スタジオとしては、あるいは撮影監督協会としては、そのようなベテランの経験知に依存した撮影現場から脱却する必要があり、メーターの使用は重要な要素でした。撮影監督のヴィクター・ミルナーなどがメーターの使用が必須になっていると声を上げているところへ、1938年にGEがメーターの新製品を発表し、業界全体に使用が広まっていきます。ミルナーの意見は非常に示唆的です。「録音技師や現像所も科学の力を借り始めている。だからと言って、彼らの個性が失われたかと言うとそんなことはない・・・科学は彼らの仕事をより簡単で正確なものにしたが、凡庸な仕事になったわけではない。」室内での撮影でも、高感度フィルムを使い始めてからは、全体的に明るくする照明法よりも、キー照明を主体とした機能的な照明に変わってきており、メーターによる確認は重要だと言っています。しかも、A級作品だけでなく、「クィッキー(B級映画)」でも、撮影監督の役割は重大になってきている、と述べ、ビジュアルがハリウッドの製品において占める位置がいかに大きくなってきているかを物語っています。

ここから見えてくるのは、旧態然とした撮影監督の慣わしに対して、科学技術的な仕組みを取り入れて、品質を守りつつ、個性的な仕事をできるようにしようという流れが1930年代の後半に出てきていることです。そしてその科学技術が、まさしく市場に製品と言う形で現れ始めていたということです。

現像においても、科学技術の導入がこの時期に盛んになります。やはり1940年の「Journal of Society of Motion Picture Engineers」誌に、ワーナー・ブラザーズの新しい現像所の記事があります。これは公開用プリントの現像所ではなく、カメラネガと「デイリー(ラッシュ)」のための現像所です。この現像所の設計には、度肝を抜かれます。塵埃制御のために入り口を3ヶ所しか設けない、からはじまって、ありとあらゆる当時の最新技術が導入されているのです。当時、大光量のランプは温度が高すぎてフィルムを変形させてしまう欠点があったのですが、そのために真空冷却装置を導入して大光量ランプを導入したり、現像時の停電に備えて、5秒で起動して電源供給する非常用電源を備えたり、と、本当に工学的に理にかなった設備です。そして化学者を常駐させて、現像液の化学的組成の検査を常時行えるようにしているのです。現像液は繰り返しの使用により、その成分が変化しますが、それまではそういう変化も含めて「現像工程」のクオリティだとされてきていたのを、改善したわけです。現像工程のばらつきを抑えれば、その前の撮影の段階でできることが広がるのです。たとえば、現像工程がばらついていると、プリントで失敗することを懸念して、極端に暗い夜のロケ撮影で、照明をひとつふたつ増やしてしまうかもしれません。しかし、現像工程の品質管理が常時きちんとされていれば、メーターを使いながら、思い切りローキーで撮影することも挑戦できます。ワーナー・ブラザーズのスプレイ氏はこう述べています。

書類に記載されている(現像液の)処方が大事なのではなく、使用中ずっとその濃度を維持することが大事なのです。言い換えれば、あれが何グラム、これが何グラムといったことではなく、標準化の問題なのです。

フィルム・ノワールの代表的な撮影監督、ジョン・オルトンが1949年に出版した「Painting With Light」の現像の項には、次のように記されています。

近代的な現像所には化学者がおり、そして彼らが科学をもたらした。こんにちの写真は科学に基づいている。

1930年代の後半に、新しい技術が導入されるとともに科学的なアプローチが製作に組み込まれていきました。その環境のおかげで、監督、撮影監督、照明、音響技師などが「凡庸な仕事」に絡めとられず、さらに表現の幅を広げることができたのです。1940年代に現れた「フィルム・ノワール」のビジュアルが革新的な試みとして成立したのも、まずハリウッド自体がそのような「試み」を、十分な品質の製品として出荷できる下地を作っていたからに他ならないのです。「夜の人々」は、ニコラス・レイの監督作品だし、「スカーレット・ストリート」はフリッツ・ラングの監督作品だし、「拳銃魔」はジョセフ・H・ルイスの仕事です。私達は、オーソン・ウェルズ、アンソニー・マン、アルフレッド・ヒッチコック、ロバート・シオドマクという名前を振り回しながら、映画を語り、評論し、分析しています。もちろん、それはそれでいいのです。けれども、その仕事を可能にしたまわりの世界があったことを忘れると、歪んだパースペクティブで裏返しの世界を語り始めることになりかねません。まわりの世界には、産業を支えた技術者や科学者たち、品質管理のシステムを作っていた人たちがいました。その中には非常に重要な役割を演じたにもかかわらず、忘れられた人たちも大勢いるでしょう。そういう人たちの名前は、もうわかりません。「忘れられたB級映画監督」の名前は、本当は忘れられず、また再び語ることもできますが、語られない名前もあるのです。そして、それはそれでかまわないのです。語られない名前がある、ということが忘れられなければ。

G.W.パブストの”Abwege(1928)”:「気づかない」ということ

前回前々回に引き続き、G.W.パブストの”Abwege (1928)”について考えていきます。

無声映画を見間違える

以下のシーンは、トーマスとアイリーンのやりとりです。アイリーンは、夫のトーマスに愛想を尽かし、画家の男と駆け落ちしようと、駅で待ち合わせていたのですが、画家は現れません。代わりにトーマスが現れ、アイリーンを家に連れて帰ります。トーマスはすでに画家に会いに行き、アイリーンと分かれるように迫って、その旨の手紙を書かせていたのです。このシーンは、トーマスがアイリーンを家に連れて帰って、その画家の手紙をわたすところです。

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ps4fyb2mHB4?rel=0]

夫を呼びにきた男性と、アイリーンが夜のベルリンにくりだしていくところで、この動画は終わります。夫は「クラブに行かなければならないことは、君も知っているだろう」とアイリーンに言ったものの、いざとなって妻との関係を悩んで、行くのを止めて、2階の自分の部屋に戻るのです。さて、アイリーンは、夫が外出しなかったことを知っていて、くりだしたのでしょうか?
実は、私は、はじめてみたときはそう見ていました。そう思った人も多いのではないでしょうか?アイリーンは、グジグジしている夫を家に残して、当てこすりのように遊びに行ったのだと。しかし、よく見てみると実はそうではないのかもしれないのです。下の動画は、上の動画を編集して、画面左に夫が映っているシーン、右に妻が映っているシーン、真ん中に両方が映っているシーンに分けたものです。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=4yTiTOiUNes?rel=0]

夫と妻の間には仕切りがあり、お互いの行動を直接見ることはできません。ですから、お互いの物音がカギになります。夫が玄関のドアに手をかけるところまでは、アイリーンがその物音を聞いていることを、彼女の目の動きと表情から読み取ることができます。しかし、夫が戻って階段を上がっていく場面では、どうでしょうか。彼女のショットは、夫が階段を上がりきるまで出てきません。そしてその前後で彼女の表情は変わっていないのです。夫がクラブに行くのを止めたことは、彼女に届いていないのです。
ここで、つじつまの合わないことが起きていますね。夫が扉のところに行くまでは、アイリーンには物音が聞こえているのに、彼が引き返して仕切りの前を通り、階段を上がっていく足音は聞こえていないことになります。この差異は、アイリーンが目で追ったかどうかと言うところに集約します。無声映画の場合、画面に映っている人物が、周囲で起きていることを「音で聞いた」という場合には、視覚的に表すことが不可欠です。もし視覚的に表していない場合には、それは「聞こえていなかった」ということです。

敵の蒸気機関車なのに誰も気がつかない

 

バスター・キートンの”The General (1926)”[邦題:キートン将軍]では、このルールが効果的に使われています。舞台はアメリカ南北戦争、キートンは南軍の機関車を走らせて、北軍のスパイの機関車を追跡します。この追跡の最中に南軍は退却してしまって。キートンの機関車が爆走する周囲を北軍の部隊が進んでいきます。けれども、キートンは機関車の燃料の薪割りに忙しく気づかない。あれだけの部隊が周囲で移動しているのですから、その騒音や行進に気づかないわけがないのですが、サイレント映画だと、キートンにとっては無音の状態が維持できるのです。彼がようやく気づくのは、彼の視線が北軍の進む様子をとらえるときです。あくまで、視線の確認が画面で表現されて、はじめて存在が確認されるのです。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=l2fdwFoHTwg?rel=0]
面白いのは、伴奏音楽はたいていの場合、キートンが気づいていない間も、北軍の行進曲のメロディを挿入するのです。観客は、北軍の進軍に気づいている。そして、キートンがそれに気づいていないことをおかしく思う。もっと興味深いのは、北軍が機関車の進行に全く反応していない、という点ですね。これは実際にはありえないことですが(進軍している方角から、機関車が来れば、部隊としてはそれを停止させますよね)、その疑問が観客に浮かばないように、視点が選ばれているんです。キートンのことを客観的に見ながらも、キートンに寄り添って、没頭している視点を、フィルムをつなげるだけで作っているんです。

窓に映った本当のこと

クラレンス・ブラウン監督の”Smoldering Fires (1925)”[邦題:燻ゆる情炎]のクライマックスのシーンは、さらに複雑な視線のやり取りで「気づく」ことがカギになります。ヒロインのジェーンは成功したビジネス・ウーマンで、年の離れた若い部下のボビーと結婚しています。ボビーは、ジェーンとどこか住む世界が違うことを感じ、ジェーンの妹のドロシーに魅かれ、ドロシーもボビーに魅かれていきます。これは、ディナーが終わった後の場面です。ボビーは庭でタバコを吸いながら物思いにふけっている。ドロシーは、ひとりベッドルームで泣いている。廊下を歩いているジェーンが、それを聞きつけるところから展開します。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=6DZ4wxBOdqc?rel=0]
非常に見にくい動画ですが、もともと16mmの状態の悪いプリントから起こした素材です(コマの揺れはあまりにひどいので補正処理し、字幕も入れなおしました)ので、ちゃんとした修復が望まれる映画です。ジェーンが「ボビー」と、庭にいる夫に呼びかけたときに、ガバッと起きるドロシー。窓に映ったドロシーで気づくジェーン。ひとりひとりの「声」への反応が、しっかりと演技され、撮影され、編集されています。サウンドトラックの効果音も、呼吸の音もない世界です。無声映画にとって、編集のリズムがいかに重要か、よくわかる例です。

「気づかない」という表現

「気づく」というのは、反応を見せることで表現できるのですが、「気づかない」というのは「反応しない」という動作で表現するしかないのです。”Abwege”のアイリーンの例が厄介なのは、アイリーンが「画面の外で起きていること」に「気づかない」という、かなり表現しにくい状況だからです。キートンの場合は、「画面の中で起きていること」に「別のことをやっていて」「気づかない」という構造にしていますから、後景と前景でアクションを並行させて、表現しています。ジェーンとドロシーの場合は、ジェーンは「気づいた」が、ドロシーはジェーンが気づいたことに「気づいていない」、そしてさらに、ジェーンは、ジェーンが気づいたことにドロシーが気づいていないことに「気づいて」、ごまかし始める、という瞬間を、窓に映った像を介して表現するという、離れ業をやってのけていると思います。
アイリーンとトーマスの場合は、なるべく二人を同じフレームに入れないことが前提です。二人が一緒にフレームに入っているのはごく数ショットです。完全に二人は別の空間にいて、別の空気を吸っているのです。ハリウッドの監督だったら、もう少しショットを短くして、「気づかない」ための仕掛けを用意するでしょうね(手紙をもう一度読ませたり、電話をかけさせたり・・・)。そういう「動作」を使わず、ジリジリと押し切った。余韻というか、重い気体に包まれた空間を感じます。トーマスは、アイリーンが気づかなかったことに気づいていたのでしょうか?それは実は読み取るキューが画面には出ていないと思いますが、どうでしょう。