第二次世界大戦後のアメリカ:復員計画

帰還兵をのせて真珠湾からカリフォルニアに向けて航行するUSSサラトガ
1945年9月頃
USSサラトガは翌年の7月にビキニ環礁の核実験で実験台に使用され沈められる。

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曖昧な、曖昧な、フィルム・ノワール [6]

最後に取り上げるのは、《フィルム・ノワール》が登場してくる背景についての議論である。とくにここでは技術的背景について述べたい。 続きを読む 曖昧な、曖昧な、フィルム・ノワール [6]

曖昧な、曖昧な、フィルム・ノワール [5]

《フィルム・ノワール》の総論的分析には、ドイツとの関係が常につきまとう。ひとつは《フィルム・ノワール》の視覚的(ヴィジュアル)スタイルは《ドイツ表現主義》の影響を受けたとする議論である。もうひとつは、ハリウッドでの《フィルム・ノワール》形成には、ナチスから逃れたユダヤ系ドイツ人が重要な役割を果たした、というものである。

総論のなかで何の躊躇もなく述べられるこれらの議論は、それぞれをつぶさに見ていく各論のレベルのなかでは、あきらかに齟齬を起こしている。1970年代にはだれも疑うことのなかった総論を支えていたはず基礎がほころび始めている。その状況をみてみたい。

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曖昧な、曖昧な、フィルム・ノワール  [4]

フィルム・ノワールはフランス語だ

《フィルム・ノワール film noir》という言葉の語源に、ことさら深い意味があるのかどうか、正直なところわからない。だが、フランス映画批評を起源とするこの名詞は、様々な意味を持たされて時代を通過してきた。そして、これからもその意味を変えていくのではないだろうか。

この語の起源がフランスにあるという点が長いあいだ注目されていたのは、1946年から20年以上のあいだ、当のアメリカ人たちが《フィルム・ノワール》なるものを全く認知していなかった、という文化のあや(・・)のようなものを象徴しているからだろう。特にハリウッド映画という、本国では非耐久消費財とみなされていたものが、シリアスな批評に値する可能性を具体化してみせたのが《フィルム・ノワール》だった。

この言葉のその怪しげな出自と、その出自がその後の批評に与えたインパクトを見てみたい。

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曖昧な、曖昧な、フィルム・ノワール [3]

フィルム・ノワール批評の広がり

1970年代後半から、一気に多くの映画批評家がフィルム・ノワールについて活発に語るようになる。「実存主義」というキーワードからフィルム・ノワールを読み解こうとする試み(ロバート・G・ポーフィリオ[1])、フィルム・ノワールをジャンルとして再定義しようとする論考(ジェームズ・ダミコ[2])といったものは、それまでの批評の延長と見てよいだろう。ジャック・シャドイアンの“Dreams and Dead Ends: the American Gangster/Crime Film (1977)”は、ハリウッドの犯罪映画史を展望する力作だが、フィルム・ノワールはあくまでギャング・犯罪映画ジャンル史のなかに登場する分類として位置付けられた。一方で、当時登場し始めた新しい映画批評の潮流と合流するように、新しいパースペクティブから論じられたものもある。映画の産業史的見地から、いわゆる《B級映画》とフィルム・ノワールの関係について見通す批評・研究(マッカーシー&フリン[3]、ポール・カー[4])、同時期に隆興しはじめたジェンダー映画批評(リチャード・ダイアー[5]、E・アン・キャプラン[6]等)などが挙げられる。

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曖昧な、曖昧な、フィルム・ノワール [1]

「映画とは何か」「フィルム・ノワールとは何か」といった、「○○○○とは何か」といったタイトルを映画批評ではよく見かけるのだが、風呂敷が大きいだけで、広げる場所が間違っているような印象をいつも受けている。だが、「フィルム・ノワールとは何か」については、さすがに困っている。その定義が極めて曖昧で、流動的で不定形で、どんな映画を《フィルム・ノワール》と呼ぶのかという点も絶えず変化しているからだ。1980年代には、1940年代から50年代の一握りのハリウッド娯楽作品を指すものだと主張されていたが、今ではIMDBで『獣人島(Island of Lost Souls, 1932)』に film noir のタグがつけられてしまうほど自由自在に解釈されているようだ。《濫用》されているといってもよいだろう。そんな調子だから、《フィルム・ノワール》についての様々な記述や批評を読んでいると、あまりにいろんな齟齬が目立ち、疑問が沸き起こり、全く疑わしい土台のうえに分析や解釈が堂々と展開されている様子に出くわしたりする。私は、そういう定義の食い違いや齟齬について議論したり、分析したりすることには、あまり興味がないのだが、一度は整理して見る必要を感じている。そこで、残念ながら今回ばかりは「フィルム・ノワールとは何か」という風呂敷を、間違った場所に広げてみることにした。

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赤外線フィルムの時代

第二次世界大戦前後の映像技術や工学をながめていると、この頃から、《見えるもの》と《見えないもの》の境界を曖昧にするテクノロジーが徐々に社会に浸透し始めている様子が見えてくる。可視の外側の現象が、平然と可視の領域に滑り込んで、ヒトは自らの知覚が広がったかのような錯覚に囚われ始める。この錯覚は時としてとても危険なものになりうるのだが、視覚に不自由を感じないヒトはすべての感覚のなかで視覚を無防備に無批判に信望していて、その危なかっしさを見逃しがちである。

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エドワード・ホッパーと戦争

エドワード・ホッパー(1882 – 1967)の「ナイトホークス Nighthawks」は、彼の数ある作品のなかでも最も有名な作品だろう。蛍光灯に煌々と照らされた店内。寂しいような、落ち着くような、不思議な場所。しかし、この風景は、作品が製作されたとき、存在してはいけない風景だったというのはあまり知られていない。

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