カメラを動かすこと自体は映画の黎明期から行われていたのですが、ハリウッドでそれがより自由度を増すのは1920年代の後半になってからです。その最大の理由が「モーター」でした。今まで紹介してきた様々な動くカメラのシーンの撮影においても、大部分がモーターでカメラの駆動しています。
動くカメラ (6)
サイレント映画の長回しはなぜ短いのか
ムルナウの『サンライズ(Sunrise, 1927)』が当時のハリウッドの関係者、特にフォックスにいた監督やカメラマンに与えた影響は非常に大きかったと言われています。特にフランク・ボゼージとジョン・フォードは、その影響が非常に如実に映像に表れています。
動くカメラ (5)
本当にカメラは解き放たれたのか
サンライズ Sunrise (1927) F・W・ムルナウ監督 “Fluid Camera”
F・W・ムルナウはドイツで『最後の人(Der Letze Mann, 1924)』を監督しました。この作品で、カール・フロイント(撮影)とともに非常に独創的なカメラ・ムーブメントに挑戦し、それは “die entfesselt Kamera(飛ぶカメラ)”と呼ばれていました。
動くカメラ (4)
動くカメラ (3)
動くカメラ (2)
動くカメラ (1)
先日のUNKNOWN HOLLYWOOD第6回のトーク内で「動くカメラ」についてお話をしましたが、そのいくつかについて、実際の撮影の様子を紹介します。
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| 『つばさ(Wings, 1927)』ウィリアム・A・ウェルマン監督 トラッキングショット | 
まだ起きていない犯罪
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| 「スナイパー(1952)」 | 
  「スナイパー(1952)」の主人公エディーについては、直接モデルとなった連続殺人犯はいないようだ。しかし、この映画が製作されるときに、製作や監督の意識にあったであろう殺人事件があった。ハワード・ウンルー(Howard Unruh, 1921 – 2009)が1949年に起こした大量殺人事件である。ニュー・ジャージー州のカムデンという小さな町で、ある朝、彼は町の通りを歩きながら、わずか12分のうちに13人を射殺した。町の人たちをターゲットとしてはいたが、計画的ではなく、ほぼランダムに、手当たり次第にドイツ製ルガーで撃っていった。彼はすぐに逮捕された。
  ウンルーは、結局精神異常と診断される。彼が最後に残した言葉は「弾さえあれば千人だって殺した」だった。
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| 逮捕されたハワード・ウンルー(中央) 警官たちの表情と犯罪者の表情の対比  | 
  このウンルーは、第二次世界大戦でヨーロッパ戦線に従軍したが、非常に腕の立つスナイパーだったらしい。しかし、すでに彼の異常性はこの時から明らかだった。
彼の日記は、奇怪としか言いようがないー戦争中に射殺したドイツ兵について一人一人、いつ、どこで、どのような状況で撃ったか、そしてその兵士の死んでいくときの顔の表情を、克明に記録しているのだ。
-Bad Blood, An Illustrated Guide to Psycho Cinema, Christian Fuchs, 1996
この「死んでいくときの顔を表情を記録している」というのが、実に衝撃的だ。撃ったときのリコイルの問題も考えると、どこまで本当にウンルーがスコープを通して見たことなのか、彼の幻想も混じってはいないだろうか、と思ってしまう。
  現在のスナイパーのトレーニングでは、しとめる相手の頭部はなるべく狙わず、身体の重心位置、すなわち胸部を狙うらしい。ターゲットとして広くて狙いやすいから、ということのほかに、撃つ相手の表情を見るとスナイパーといえども一瞬ひるむことがあるからだそうである。ウンルーはひるむこともなく、じっと観察していたことになるのだろうか。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=KeqoVE5HHwU]
  「スナイパー」では、精神科医のケント(リチャード・カイリー)が自説を披露するシーンがある。エディーのような無差別殺人を起こす犯人は、過去にすでに暴力行為で警察の世話になっているはずだ、最初は殴ったりするような小さな犯罪だったのが、だんだんエスカレートして、最後には歯止めが効かなくなる。その最初の、小さな犯罪の時点で見つけ出して精神病院に収容すべきだ、というものである。この「予防措置」的な考えは、21世紀になってまさに起きていることである。ガンタナモ収容所は、「テロを起こすかもしれない」可能性のある人物を強制的に収容している。その人権を無視した扱いも含めてUNやアメリカ国内のリベラルのみならず、右派からさえも批判のある一方で、「あのおかげでテロが未然に防げているのだ」という意見もある。
  P.K.ディックの小説「少数報告(The Minority Report)」とその映画化作品も、犯罪を起こす人間を未然に逮捕するという設定だが、実際に起こした犯罪ではなく、「これから起こすかもしれない犯罪」に対してアクションがとられるという点において、ケント医師の発言はディックの描いた居心地の悪い未来への入り口とも言えよう。
	「スナイパー」-フィルム・ノワールから新しい時代への入り口
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| 「スナイパー(1952)」UNKNOWN HOLLYWOODオリジナル予告編 | 
アレキサンダー・ハミッドの「あてなき彷徨」
マヤ・デレンの「午後の網目(Meshes of the afternoon, 1943)」を知っている人も多いだろう。共同監督として名が挙がっているアレキサンダー・ハミッドは「マヤ・デレンの夫」としてまず紹介される。しかし、彼自身も、その生涯にわたって新しい映像技術に挑戦し続けた映像作家である。その彼の処女作が「あてなき彷徨(Bezucelná procházka, 1930)」である。この作品はチェコスロバキアの実験映画の始まりと言われている。


