わたしたちの果てなき切望 (17)
「四季」派についての吉本隆明の批判から、戸坂潤にさかのぼっていくと見えてくるものは何か。そして、一見矛盾のように見える感性の世界秩序が、実はこの酷い世界をやり過ごすための平面、プロパガンダが機能する平面だということを考えてみる。
詩人たちの軽井沢
わたしたちの果てなき切望(16) ─── 津村信夫、そして「四季」と軽井沢
リパブリック・ピクチャーズの連続活劇
リパブリック・ピクチャーズは、ハリウッドの映画スタジオの中でも《連続活劇》を数多く製作した映画会社の一つである。連続活劇はどのように上映されていたのか。実際のシカゴの映画館を例に見ていきたい。
ある映画評論家の肖像
わたしたちの果てなき切望 (15) ─── 戦時下から戦後にかけての、ある映画批評家の言動を追ってみる
戦時中の小津安二郎作品の削除シーン
わたしたちの果てなき切望 (14) ─── 小津安二郎が戦時中に監督した2作品を読む
フクちゃんと荒姫さま
わたしたちの果てなき切望 (13) ─── 南進政策のなかの横山隆一と決戦下の黒澤明。
プロパガンダの責任
わたしたちの果てなき切望 (12) ─── プロパガンダを創るのは、クリエイターである。畢竟、クリエイターの表現上の責任というものは存在している。
無名(2023)
上海を舞台にした歴史ファンタジーと、寡作の映画作家チェン・アル監督の偏愛するプロット構造について
美少女と九六陸攻
白黒にカラーを埋め込む
今では何でもないような色の操作が、かつては非常に困難を極めた。そしてそれは思いもよらない結果を生むことにもなった。