遠い親類と遠い物語

 

『Close Relations (2016)』[Studio Vertov]

引き続きdafilmsのウクライナ特集からの作品を紹介する。今回は、ヴィタリー・マンスキー監督の『Close Relations (2016)』というドキュメンタリーをとりあげたい。原題は『Рідні』、ウクライナ語で「親類たち」という意味だ。

マンスキー監督というと、日本では、北朝鮮での<一般人の生活>を撮影した『太陽の下で ─真実の北朝鮮─(В лучах Солнца, 2015)』という作品をご存知の方も多いかもしれない。これは、撮影時に政府当局からの干渉が著しかったため、その様子を隠し撮りした作品だ。『Close Relations』は、『太陽の下で』の直後の作品に当たる。マンスキー監督は、今度も一国の政治のあり方を<一般人>の姿を描くことで立ち上がらせる手法をとっている。その国とはウクライナだが、この作品ではその<一般人>が、自分の家族、親類縁者である点が特異なのだ。

ヴィタリー・マンスキーは、1963年ウクライナのリヴィウの生まれ。ソ連時代の1982年に有名な全ロシア映画大学(VGIK)に入学、1989年から通算30作以上の映画を監督している。この『Close Relations』までロシアを中心に活動していた。

『Close Relations』の冒頭で、マンスキーは「この映画を作るつもりはなかった」と宣言する。その真意は測りかねるが、映画を見終わった時、たしかにこの映画を作ったあとには、彼はもとの生活、もとの関係に戻ることは不可能だろう、と感じた。事実、マンスキーはこの映画発表ののち、ロシアを離れている。

映画は、生まれ故郷のリヴィウの町に住む、彼の母親を訪ねるところから始まる。2014年の大統領選挙の最中だ。母親はウクライナの現状を嘆き(「ドンバスでの戦いでどうして西ウクライナの人間が死ななければならないの」)、今回は選挙に行くと宣言する。彼女は自分の家系はウクライナ人だというのだが、息子のヴィタリーが「僕の曾祖母はリトアニア系ポーランド人じゃないか、僕の祖母はどうやってウクライナ人になったんだ?」と問い詰める。母親は「彼女のパスポートではウクライナ人だった」と言い、息子はもちろんそれでは納得しない。結局、母親と息子の会話は平行線をたどったままだ。

マンスキー監督は、この母親との会話を起点に、オデッサに住む妹一家、リヴィウに住む伯母のリュダとタマラ、ロシアに<併合>されたクリミアに住む伯母のナターシャ、分離独立派が戦闘を繰り広げるドネツクに住む祖父のミーシャ、とウクライナを横断してゆく。

キッチンやリビングルームといった近接した空間、親近さが約束された場所で撮影は行われ、伯母やその家族が、親戚同士の会話としてウクライナの現状と自分を語っている。リュダは、ソ連の崩壊後に共産政権の嘘と詐欺がだんだんと見えてきて、かつて好きだったソ連のTVドラマ(『春の十七の瞬間(Семнадцать мгновений весны, 1973)』)、そしてニキータ・ミハルコフが嫌いになったという。タマラは、リヴィウに「純血」などおらず、都市そのものがオーストリアやポーランド、ロシアなど様々な国に占領され建設されたのだと話す。タマラの義理の母は、戦後に現れたポーランド人たちがいかに貧しかったかを語る。

エスニシティの問題なんかじゃない。誰と一緒に暮らしたいかだよ。

タマラ

そういった、大文字の<政治>と一般人の感性の距離のようなものが、彼女らの言葉にはある。冒頭で、選挙に行くんだと息巻いていたマンスキーの母親は、投票所を間違えてしまって、バスに乗って停留所2つ先に行かないといけないとわかると、突然行く気をなくしてしまう。カメラを回しているマンスキーに「行かなきゃダメ?そこ撮りたい?」と聞く始末である。

だが、ウクライナを横断して東部に行くほど、その距離感がおかしくなっていく。ナターシャは、クリミアがロシアに併合されて幸せだと言い、プーチンの新年の挨拶をロシアの旗を振りながら喜んで見ている。年老いて自由が効かないミーシャはウクライナ人が野蛮な殺人鬼(バンデラ Banderivtsi)だと主張する1)。彼が見ているTVには、偶然なのか、マンスキーの仕業なのか、『春の十七の瞬間』が映っている。二人とも<ウクライナ>に対する憎悪をむき出しにしてはばからない。

マンスキーは、完全な観察者というわけでもないが、一貫した主張やステートメントを提示しているわけでもない。母親と話しているときには、ウクライナのアイデンティティについて懐疑的な質問を投げかけているが、後半のクリミアやドネツクのシーンでは、プーチン政権の影響力、ロシアメディアの存在などを、分析的な視点でとらえ、否定こそしないが、共感を拒否する姿勢がうかがえる。

『Close Relations』に対する批評を読むと、このマンスキーの<態度>が失敗とみなされたのがわかる。East European Film BulletinのKonstanty Kuzmaは、作品を通して維持されるべき客観性が失われ、マンスキーの主観が入り込むことに苛立ちを隠さない [Link]。Pat MullenがTIFFに寄せた文章では、マイルドには評価しているものの、「出てくる人物にカリスマがないこと」が欠点だとコメントしている [Link]。Daria Badyorは、マンスキーが、客観性の影に隠れて、政治的にも人道的にもポジションを明らかにしなかったことを非難している [Link]。

映画批評家が、作品になんらかの一貫性を求めるのは当然だろう。特にポリティカルなテーマをもった作品においては、監督の姿勢が定まらないのは問題かもしれない。私も『Close Relations』は、ひとつの映画作品としては失敗だろうと感じた。親戚たちが語る話は、文脈をつかみにくい部外者にとっては、大部分が意味が分からないまま流れていってしまう。特に、クリミアやドネツクのシーンは、表面だけをなぞっているような印象を受けてしまった。

だが、今現在、ウクライナがロシアに侵攻されている事態を踏まえると、この映像はまったく違う意味を持ち始めていると思う。私達は、紛争と言うと、鎌と槌のシンボルの旗を抱えたドンバスの分離独立派の兵士や、キエフでウクライナ国旗を振っているウクライナ予備役軍人たちの話ばかりを思い起こすが、<政治>というものは深く長いグラデーションでできている。投票所の場所を間違えただけですっかり投票する気がなくなってしまう女性や、クリミアのサッカー・クラブがどこの国にも所属しなくなって応援できないことを嘆いている男性や、パスポートが電子チップ式になってかっこいいと話している若い女性たちの<政治>も、そのグラデーションの中に存在する。この<政治>との様々な距離が国家の基盤を作っている。ウクライナとロシアの事態は、もはや後戻りができなくなってしまっているが、この映画はその以前の段階の、ウクライナのなかにあった様々なグラデーションを見事に切り取った映像だ。その点で、ドキュメントとして極めて貴重である。

ロシアのウクライナ侵略、それに対するウクライナの抵抗が報じられるなか、ユヴァル・ノア・ハラリは英ガーディアン紙に寄稿し、「国家は物語の上に築かれる」と述べた2)。その物語とは、ウクライナの勇敢な抵抗の物語であり、この物語には戦車でも勝てないという。だが、こういった<物語>は、西側諸国のインテリ達が気持ちよくなるだけで、こんなものばかりを紡いでいても仕方ないのではないか。インテリ達が<民主主義>と<自由>の表明という自己満足をただ漫然と繰り返してきたから、この事態になるまで放置していたのではないか。

ドネツクに住むミーシャは、年老いてしまい、風呂から出られなくなっても助けを呼ぶことができないほど弱っている。美しい桜が咲く下で猫とともに暮らしている。その彼は、ウクライナ人がきらいだ。第二次世界大戦中の1943年にウクライナ人(バンデラ)達がやってきて、人々を虐殺したという。人々を吊るして焼き殺した、女の目の前でその夫をのこぎりでバラバラにした、そんな都市伝説をあたかも自分が見た事実のように語る(ミーシャがソ連の貧しい町ヴォロネジからドンバスに送られてきたのは1948年である)。インテリたちは、この老人はメディア・リテラシーがないためにプロパガンダを信じてしまったのだ、というだろう。メディア・リテラシーも何も、老人はTVしか持っていないし、バンデラ達の伝説は何十年も囁かれてきたものだ。人はTVやネットで聞いたり見たりして、突然陰謀論を信じたり、荒唐無稽な話を信じるようになるのではない。メディアは、もともと個人の中にある偏見や差別を強化するだけだ。では、なぜミーシャはそんな偏見を持つようになったのか。娘たちの話では、かつてミーシャが若かった頃、ソ連時代には、ドンバスは重要な工業拠点で、食料や物資が豊富にあったという。つまり、ミーシャにとってモスクワは庇護者なのだ。かつて隣人たちを残酷に殺したウクライナ人はモスクワからの救世主によって追い払われ、ソ連崩壊後、ウクライナ人が領土を主張している今でもロシアが食料を届けてくれる。これがミーシャの<物語>なのだ。

私達は、このミーシャの<物語>について真剣に考える必要があるだろう。その歴史的正確さについてではなく、人間がいかにそのような<物語>を自分の中で育むかについて。

マンスキーは、リヴィウに住む甥の一人がウクライナ国軍に徴兵にとられる様子を撮影している。そのサウンドトラックに『春の十七の瞬間』のテーマ曲が使われている。オリジナルのドラマは、渡り鳥が編隊を組んで飛ぶ映像にこのテーマ曲が重なる、極めて印象的なオープニングで物語がはじまる。だが、果たしてこの選曲が『Close Relations』の締めくくりに相応しいかと言われると、少し首をかしげてしまう。『春の十七の瞬間』の作り出した神話的な世界とウクライナの青年の応召の場面とは、いかなる相似も、衝突も、意味の多層化もない。ミカエル・タリヴェルディエフの曲ならば、クリミアの少年たちが兵隊になる『グッド・バイ・ボーイズ(До свидания, мальчики!, 1966)』のオープニング曲のほうがあっていたかもしれないが、だが、それではあまりに不吉だ。『Close Relations』に描かれているそれぞれの話は、<映画的な>オマージュとか、引用をはねつけてしまうほど、物語的映像の世界とは相容れないものなのかもしれない。

Close Relations (原題:Рідні)

監督:Vitaly Mansky
脚本:Vitaly Mansky
撮影:Alexandra Ivanova
編集:Peteris Kimelis, Gunta Ikere
音楽:Music Harmo Kallaste, Mikael Tariverdiev
音響:Harmo Kallaste
製作:Studio Vertov
2016 ラトビア、ドイツ、エストニア、ウクライナ

1)^ 「バンデラ Banderivtsi」については、第二次世界大戦中のウクライナの極右政治活動としてのBanderivtsiと、そこから派生したウクライナ人の俗称としてのBanderivtsiがあるという [Link]。

2)^ 日本語翻訳はいくつかウェブ上に提供されているが、ここではWeb河出のページをリンクしておく[Link]。

ウクライナを映す、ウクライナを撮る

Like Dew in the Sun (2016) [Show and Tell Films]

ウクライナの領土内にロシア軍が侵攻してしまった。私達の多くは、この事態が訪れるのをまるで知らなかったかのように驚いているが、クリミアへのロシア侵攻以来、ロシアの強硬な姿勢は崩されていなかった。そして、ウクライナ国内では内戦状態がずっと続いていた。ドキュメンタリー映画のストリーミングサイト、dafilmsウクライナについての映画の特集が組まれている。少しづつ見ているのだが、この内戦状態について扱った2本の作品を紹介したい(追記:いずれも英語字幕)。

LIKE DEW IN THE SUN (2016)

監督のピーター・エンテル(Peter Entell)はニューヨーク生まれのユダヤ人で、現在はスイスに拠点を置きながら、ドキュメンタリー映画を製作している。エンテルの祖父母は、1914年にウクライナを離れてアメリカに渡った。祖父母がなぜ故郷を離れることになったのか、その故郷とはどんなところなのか、彼は祖父母の写真とわずかな手がかりだけをもって、彼らが住んでいた村を探し当てるためにウクライナを訪れる。エンテルが訪れたウクライナは、東部のロシア系分離独立派とウクライナ政府とのあいだで市民戦争状態に陥っていた。カメラは、彼の祖先を訪ねる旅を映しながらも、同時にウクライナ兵たち、そしてロシア系の分離独立軍の兵士たちを映し出す。また、一方でクリミアのバフチサライに住むタタール人の一家や、探し当てたエンテル監督の祖父母の故郷、モリカ・カリルカに住む人々の声も収めている。

このドキュメンタリーは、黒海を臨む土地をめぐって交差する、数多くの人種の争いの歴史が、時には遠景に、時には近景に現れてくるため、そのそれぞれの歴史の重みを直接感じることができない私達には、共感が横滑りして思考に詰まってしまう場面も多い。たとえば、モリカ・カリルカを訪れたエンテル監督は、住人に「もし、私の祖父母がここにとどまっていたなら、私達は隣人だったんですよ」と言ったその直後、「いや、そんなことはないか、わたしの祖父母は殺されて、私は生まれていませんね」と付け加える。ユダヤ人は激しいポグロムにさらされ、ほとんど全滅させられた。逃げた者だけが生き残ったのだ。事実、かつてユダヤ人が800人も住んでいたモリカ・カリルカには、ユダヤ人は一人もおらず、ユダヤ人の墓地も墓石がどこかに持ち去られて跡形もない。私達は、現在の村の住人たちが、その過去をおぞましいものとして語る様子を見るのだが、さて、そのユダヤ人を抹殺し、ユダヤ人の歴史を抹殺した者たちはどこへ行ったのか。その歴史を身近に経験していない私達には、その<見えない>部分が想像力の埒外に置かれてしまったままになる。また、クリミアのタタール人たちは、ロシアによる長い迫害の歴史について、「何百年も前のカーンのことをロシア人はまだ許さないのさ」という。そのクリミアは、また実質的にロシアの支配下に入り、タタール人達はマイノリティとして肩身の狭い思いをしている。このロシア人たちはどのようにしてタタール人を<許さない>のか、またウラル地方に追放しようとしているのか、私達には見えない。

そして、前景に現れるロシア分離独立派とウクライナのあいだの紛争の映像は、スマートフォンで撮影された生々しいビデオや、砲撃で殺された遺体に横たわって寄り添う女性や、ウクライナ人捕虜を虐待するロシア分離独立派兵士の映像や、大砲を撃って喜ぶ兵士たちの映像など、まったく理性を欠いた人間の行動とその結果を次々と直視させられる。電話でウクライナの指揮官と<やりあって>いるロシア分離独立派の将兵の様子は、まるで中学の不良が「やんのか、テメエ」と啖呵を切っているのを見せられているようだが、それは殺戮の宣言なのである。

随所に挿入される<像>の映像。特にバビ・ヤールのモニュメントは繰り返し登場する。ナチスに殺された子供たちのために作られたモニュメント、ソ連時代に作られた巨大なモニュメント、いずれも極めて扇情的なモチーフで、日本の広島や長崎に見られるモニュメントとは趣が違う。そこで残虐な方法で殺された人々の無念と悲しみを、可視化して絶対に後世に残すのだ、という強い執念を感じる。

そして、市井の人々が歌う歌も怨念がこもったものだ。クリミアの老婆が歌う。

Ural moutains, The horses here are no better

Crimean steppes and Crimean gardens, Live in my heart and give me joy

You who sent us away, Damn you!

May you burn and turn into ashes and be blinded for sending us away!

Don’t rejoice, you unfortunate people who live in the house we left behind

Because one day we will come back to Crimea and you will go instead to the Ural mountains

ちなみにこの映画のタイトルも、ウクライナの国歌からとられている。「敵は陽の光のなかの雫のように消えていく」という歌詞だ。

モリカ・カリルカの老婆が言う。「私にとってはみんな同じ人間、私達はみんな同じ太陽に照らされている」と。同じ太陽の光のもとでも、<敵>が雫のように消えていくことを願う歌もあれば、同じように照らされているという宣言もある。

怒りや憎悪、怨念や暴虐が、何らフィルターを介することなく表現され、そこからエスカレートした戦争も可視化されている。ロシア分離独立派がリクルートした新兵たちに宣誓をさせる様子のフッテージは、それがなんの統率もなく、およそ軍事組織とは思えない集団であることを映し出している。将兵はユダヤ人差別、同性愛差別を丸出しにして<想像のウクライナ>を敵視している。そこには、オブラートに包まれた<民族自立>といった概念は存在しない。機動力の高いデジタルカメラやスマートフォンのカメラは、そういった粗い現実の素地をすべて記録している。

そうやって、可視化されているにもかかわらず、いずれは忘れ去られていく。この映画もいずれは大量の映像の記録の山に埋もれてしまうのだろう。そして監督が訪れたモリカ・カリルカの村のユダヤ人墓地のようにわずかな痕跡しか残らないのだろう。

この作品は、その意図と語ろうとする物語は多くの人に受け入れられやすいものかもしれない。だが、決定的な瑕疵がある。それは次に紹介する映画「Show Me the War」が見せる、紛争地帯の映像の<とらえどころのなさ>について、あまりに無責任だという点だ。

SHOW ME THE WAR (2016)

Show Me the War (2016) [FAMU]

戦場にカメラを持って飛び込み、戦争の真実を伝える。だが、紛争地帯は世界中にあり、どこへ行けば<戦場>なのか、誰に会えば話を聞けるのか、すぐにはわからない。かつての従軍記者のように長期間部隊と行動を共にするような人たちは少ない。海外から来たジャーナリストやドキュメンタリー・クルーが、すぐに<戦場>を撮影できるように手配する者たちがいる。<フィクサー>と呼ばれている。

この映画では、そんなフィクサーの一人の仕事を追う。ロシア分離独立派兵士のなかにコロンビア人がいるので取材したいと、コロンビアからTV局の撮影クルーがやってきた。なぜ、こんな遠い土地で、コロンビア人が戦っているのか、インタビューしたいのだそうだ。フィクサーとして雇われたルスランは、クルーを連れてキエフから前線に向かって移動し、様々な<戦場>を見せてゆく。

ルスランとクルーは、ある町の集合住宅を訪れる。この建物は砲撃を受けた痛々しい傷跡や生存者が隠れた地下室などがあり、戦争の悲劇を見せるにはうってつけの場所なのだ。さらに、この地域では戦闘はおさまっており、安全地帯で戦争を取材できるというメリットもある。彼らが取材していると、偶然通りかかった住人の一人が言う。「私達はここに住んでいるんだよ、花も植えている、なのにどうしていつもぶっ壊れたところだけ撮影するんだろうね」と少々激昂している。ルスランは以前にも別のジャーナリストをこの場所に連れてきたようだった。一種の戦場観光のようになっているわけだ。

また別の日には、分離独立派に雇われている兵士が、誰もいない野原で射撃をしている様子を撮影する。だが、こんなものではとても遠く離れた国の視聴者が満足するわけがない。次の日、撮影クルーの女性ジャーナリストが言う。

私達が欲しいのは、軍の存在、戦車とか、そういったものなんです(中略)(昨日撮ったのは)3人の人が弾を撃っているところ。そんなのは、コロンビアでは普通なんです。

本人たちは笑いながら話していた。

近代の戦争で、映像が果たす役割は大きい。だが、実際の戦闘場面を撮るためには危険を侵さなければならないし、協力してくれる戦闘員たちがいなければ、視聴者が釘付けになるような映像は撮れない。フィクサーはそれを比較的簡単に手配してくれる。言い換えれば、いま今日の世界で戦闘の場面が映る際には、それを撮らせることを了承した人々の意図を考えなければならない。

なぜコロンビア人がウクライナで戦っているのか。傭兵だからに決まっている。実際、彼と同じ部隊にいるベトナム人は、ベトナム戦争を経験したベテランだ。現代の軍事行動では傭兵の存在は当然だし、それが多国籍にわたることも常識だ。そんな当たり前のことのために取材に来たのは、取りも直さず<戦車や大砲やミサイル>の映像が欲しかったからである。実際、クルーはフィクサーに紹介された分離独立派の将校に頼み込んで、極めて危険な撮影に出かける。彼らは帰ってきた時、非常に満足そうである。コロンビア人の取材よりも何かが爆発する映像のほうが重要なのだ。

前述の『Like Dew In The Sun』では、スマートフォンで撮影されたと思われる紛争の被害者たちの映像に「本作品のシーンの中には、インターネットからの映像もあります」という字幕が重ねられる。そのうち、どれが<インターネットからの映像>で、どれが<エンテル監督たちが撮影した映像>かが、判別し難くなっていく。<インターネットからの映像>を使用している際に、字幕で引用を明示していないからだ。明らかにアスペクト比が違うものや画質が違うもの、周囲をマスクしてサイズを小さくしたフッテージが、<インターネットからの映像>なのだろうが、見ている者にはわかりづらい。そうこうするうちに、それぞれの違う諸元の映像がエンテル監督の語りたい物語に編み込まれ、もはやそれがどこから来たかは重要でなくなってしまう。自らの物語を強化するために他の映像をこのような形で借りることは極めて危険な行為である。どこから引用されたか明らかでない、だがショッキングな数々の映像は、フィクサーによって手配され、分離独立派が、それらを世界に見せても良いと思って撮影させたものだ。分離独立派の兵士がウクライナ兵捕虜を虐待するシーン(これはインターネットから引用されたものだろう)でも、もともとは分離独立派にとって何らかの利益がある動画だったのだ。ロシアやその影響が及ぶ地域でウクライナ人や他の民族に反感を抱いている若い人間達の関心を引き、リクルートに役立つと考えていたのかもしれない。捕虜の肩章をナイフで切り取り、口に押し込んで食べさせると行った、あからさまで、映画的な演技をみるにつけ、そう思わざるを得ない。私達が<戦車や大砲やミサイル><戦場の現実><戦火に追われる人々の悲劇>を見たいと反応すればするほど、それを見せる仕掛けが現地で作動して、軍事行動をより正当化させてしまう側面もあるのではないか。

戦闘の映像を撮るための機会がこのようにして取引され、撮影されたフッテージは真実でありつつも用意周到に意味が付与されている。私達は<観る>だけではなく、実は知らぬ間に<参加>させられているとも言える。

Like Dew in the Sun

監督:Peter Entell
脚本:Peter Entell, Elizabeth Waelchli
撮影:Jón Björgvinsson
製作:Show and Tell Films
2016 スイス

Show Me the Invasion(原題:Ukažte mi válku)

監督:Zdeněk Chaloupka
撮影:Zdeněk Chaloupka
編集:Ilona Malá
音響:Miroslav Chaloupka
製作:FAMU、Smetanovo nábřeží 2、11000 Praha 1
2016 チェコ