G.W.パブストの”Abwege(1928)”:交わらない視線

G.W.パブスト(Georg Wilhelm Pabst)は無声映画からトーキー初期の時代に数多くの画期的な作品を発表した、ドイツ・オーストリアの映画監督です。彼は当時のドイツの映画界が表現主義一色だったのに対して、新即物主義(Neue Sachlichkeit)と呼ばれるスタイルで”Die freudlose Gasse (1925)” [邦題:喜びなき街]、”Die Liebe der Jeanne Ney (1927)”[邦題:懐かしのパリ]などを監督しました。新即物主義とは、ドイツ表現主義や後期ロマン主義の極めて主観的な世界観を批判し、現実の世界に対峙し、告発する姿勢を持たねばならないとした芸術運動です。ある意味で、ワイマール文化の政情不安、社会的な頽廃を象徴した運動でした。画家のジョージ・グロスオットー・ディックスラウル・ハウスマン、戯曲家のブレヒト、作曲家のシェーンベルグなどが挙げられますが、ダダイストや表現主義から派生した部分もあり、必ずしも明確な定義があるわけではありません。絵画や演劇では新即物主義は大きな流れとなっていましたが、UFA社を中心とするドイツ映画界では、むしろ表現主義に属する潮流が主流を占めていました。G.W.パブストは、当時のドイツ映画界の中で、ヨーロッパの頽廃をリアリズムに基づいて描いた稀有な存在でした。

パープストの作品はまだ見ていないものも多いのですが、サイレント最後期の作品、”Abwege (1928)“[邦題:邪道]を最近見て非常に不思議に思うことがいくつかありました。それについて考えてみようと思います。

まず、このシーンを見てください。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=tss2PZOArUU?rel=0&w=480&h=360]
これは、この映画のヒロインであるアイリーンが頽廃きわまるベルリンのダンスホールに行ったときの様子です。見知らぬ男(その後のシーンでこの男の職業がボクサーと分かります)とその連れが、彼女をからかって紙テープを投げつけるのですが、この2人の座っている位置関係がどうなっているかわかりますか?
(アイリーンは、そうです、フリッツ・ラングの“Metropolis (1927)”のマリアを演じたブリジット・ヘルムが演じています。)

私は最初に見たときには、実はよくわかりませんでした。この動画で2つ目のショット(ヒロインを斜め後ろから撮ったショット)を、男のPOVショットと勘違いしたのです。つまり、男は手前にいてそこから彼女の背中に向かって紙テープを投げている、と思ったのです。ところが、紙テープが飛んでくる向きやダンスをしている人たちの位置関係から、男は右手奥に位置しているのが分かるのです。
なぜ、そんな勘違いをしたかといえば、いわゆるハリウッド古典映画の文法からすると、2つ目のショットはPOVショット、あるいは最初のショットに対するリバースショットとして配置されることが一般的だからです。ショット/リバースショットとは、映っている人物同士の視線が交わることで位置関係を表す方法です。人物を結ぶ軸(axis、日本ではイマジナリーラインと呼ばれています)を超えないで、常に同じ側から撮影することで、場面のコンティニュイティを維持する方法です。
たとえば、”Watch on the Rhine (1943)”[邦題:ラインの監視]のこのシーンを見てください。まず、2人をフレームに収めて全体の関係を撮ります。その後、右手の男性を左からアップで撮ったショット、そして左手の男性を右手からアップで撮ったリバースショットとつないでいきます。このときそれぞれの相手の後ろ肩をフレームに入れることで、より空間のゆとりと方向性を、自然に表現します。

「ラインの監視(1943)」より

この編集方法はすでにサイレント映画の時代に確立され、非常に複雑な空間関係もコンティニュイティを保ちながら表現されています。パブストの”Abwege”と同じ年に公開されたハリウッド映画、”Romance of the Underworld (1928)”[邦題:暗黒街のロマーンス]でも、ナイトクラブのテーブル間でのやり取りがありますが、視線の交わりを処理するだけでなく、指差しや、首をひねって人物を追っかけるなどして、空間の位置関係を明らかにしています。

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=tJ_XLDfBPXQ?rel=0&w=480&h=360]
この文法に従うと、”Abwege”の紙テープのくだりでは、2つめのショットは、右手を見ているヒロインをやや左正面から捉えるのが正当な方法なのです。これを上から見た配置図にしたのが下の図です。実際の作品に使用されているカメラアングル・位置が左ですが、右の図のようにハリウッドの文法に沿って撮影することで、位置関係を明確に伝えることができるはずです。ではなぜ、パープストはこのような変則的なカメラ配置にしたのでしょうか?

(左)”Abwege”のカメラ配置   (右)古典的なハリウッドのカメラ配置

いろんな解釈が成り立つとは思います。
・ 混沌としたダンスホールのなかで、ヒロインが感じている方向感覚の喪失を表現している。
・ ヒロイン(裕福な階級)は、労働者階級の男と視線を合わせることを拒んでいる。
パブストは、何を狙ったのでしょうか。

[つづく]

ペリー・メイスン、サンフランシスコ、エロール・フリン

「ペリー・メイスン:奇妙な花嫁(1935)」のオープニング

久しぶりにこのサイトを再開しようと思います。

ペリー・メイスン:奇妙な花嫁(THE CASE OF THE CURIOUS BRIDE, 1935)」は、ワーナー・ブラザースが1934年から1937年にかけて製作した「ペリー・メイスン」シリーズの2作目です。ウォーレン・ウィリアムが、かの有名な弁護士を演じ、秘書デラをクレア・ドッド、スパッジーをアレン・ジェンキンズが演じています(1作目の「吠える犬」では、アレン・ジェンキンズは刑事だったのですが)。舞台はサンフランシスコ、ペリー・メイスンは中国に遠征にいく途中という設定です(そして、事件に巻き込まれ、結局行けません)。この映画のオープニングを見ていて、あれっと思ったのです。

これはサンフランシスコのフェリー・ビルディングを俯瞰で撮っています。まず、フェリー・ビルディングの前にひしめくケーブルカー。マーケット・ストリートの突き当たりなんですが、現在はこんな感じではないはず。そして、少しカメラがパンすると、オークランド・ベイ・ブリッジが見えるのですが、どう見ても建設中のようなのです。
「ペリー・メイスン:奇妙な花嫁(1935)」オープニング。 右奥に見えるのが建設中のオークランド・ベイ・ブリッジ。
このフェリー・ビルディングは、A.・ペイジ・ブラウンという建築家が「ボザール様式」というスタイルで設計し、1898年にオープンした建物です。1930年代にゴールデン・ゲート・ブリッジとオークランド・ベイ・ブリッジが完成するまで、サンフランシスコ湾を横断するにはフェリーが唯一の手段でした。フェリー・ビルディングは、まさにそのフェリー運航の窓口であり、当時世界でも最大級の運輸量を誇っていました。一方で、坂の多いサンフランシスコではケーブルカーは欠かせない乗り物で、必然的にケーブルカーの路線はフェリー・ビルディングに集中することになりました。乗客の乗降を効率的に行うために、集中した路線はフェリー・ビルディングの前で周回することになったのです。この「ループ・トラック」は20世紀前半のサンフランシスコの成長を象徴する光景だったのです。 

ループ・トラック(1920年代?)
一方で、運輸をフェリーに頼っていてはまずいのでは、とも思われていました。大陸横断鉄道は、対岸のオークランドに着いてしまい、輸送の拠点を対岸に持っていかれて経済的に取り残されてしまうのではないかという危惧が常にあったのです。そこで、橋の建設は幾度も議論され、1930年代についにオークランド・ベイ・ブリッジ(1936年完成)、ゴールデン・ゲート・ブリッジ(1937年完成)とサンフランシスコの動脈となる2つの橋が完成しました。これによって、フェリーの利用はがた落ちし、フェリー・ビルディングも寂れていきます。1950年代には、かつて「ループ・トラック」があった場所にハイウェイが建設されます(そして1989年の地震を期に取り壊されます)。
ですから、この映画が撮影された1935年には、フェリー・ビルディングの利用は最盛期だったのと同時に、その向こうに建設中のオークランド・ベイ・ブリッジが見えたのです。この写真はまさしく同じころに撮影された建設中のオークランド・ベイ・ブリッジ、オークランド側から撮影されています。
建設中のオークランド・ベイ・ブリッジ(Wikipedia)

これは、ちょっと前に有名になったサンフランシスコ大地震(1906)直前のフィルム。マーケット・ストリートを直進していくケーブルカーから1906年4月15日に撮影されたものです。ずっと先にフェリー・ビルディングの時計塔が見えますね。これは本当にすばらしいフィルムです。まるで、1906年のサンフランシスコにタイム・トリップしたような気分になります。路面電車上の定点にカメラを置いてじっと撮るだけで、こんなにも様々な風景や人に触れることができるなんてすごいことです。いろんなことを想像してしまいます。あのエプロンをかけた若い男は、何を急いでいたんだろう?子供たちは、ああやって自動車の後ろにぶら下がって移動していたんだな。馬車がこんなにも走っていたら、馬の「落し物」でとても臭っていたし、歩くと汚れたんだろうな。新聞を抱えた売り子の少年は、どんな大人になったんだろう?第一次大戦に行ったのだろうか?そして、マーケット・ストリートの終点、フェリー・ビルディング(「1896年建立」の文字が見えますね)で、ターンテーブルで方向を変えるところで終わります。そうです。このときにはまだ「ループ・トラック」ではなかったのです。
気づいた方も多いかもしれませんが、冒頭のオープニングの画像で「Errol Flynn」とありますね。そうです。ロビン・フッドの映画で有名になったエロール・フリンです。オーストラリア生まれの彼は、これが、ハリウッド映画デビューです。

「ペリー・メイスン:奇妙な花嫁(1935)」のエロール・フリン