連続活劇とは
連続活劇、英語ではFilm Serialという。20世紀前半の娯楽映画興行のなかで重要な役割を果たしたシリーズ映画である。連続活劇は、サイレント映画の時代から盛んに製作され、特にアメリカではプログラムの一部として欠かせないものになっていた。15分から30分ほどの短いチャプターごとに分かれており、全10章から20章くらいで構成されている。これを毎週1章ずつ上映していく、いわば連続ウェブシリーズのような映画である。ミステリー、西部劇、アクション映画が大半で、各章のラストにはいわゆる《クリフハンガー》が用意され、主人公が絶体絶命の危機に巻き込まれたまま終わってしまう。観客はハラハラドキドキしながら次週の新チャプターを待つ、という仕組みだ。連続活劇のファンの大部分は子供たちだったと言われているが、本当かどうかは分からない。大人も意外と期待してみていたのではないかと思う。
サイレント期の有名な連続活劇には、フランスのルイ・フイヤード監督の『ファントマ(Fantômas, 1913- 1914)』、アメリカでは、パール・ホワイト主演の『ポーリーンの危難(Perils of Pauline, 1914)』などがある。トーキーの時代に入っても、連続活劇の需要は衰えず、リパブリックをはじめ、コロンビア、ユニヴァーサルなどのスタジオが、ほぼ毎週プログラムを提供していた。いわゆるメジャー・スタジオではない、中堅から下に位置する映画会社が主体だ。1940年代までは、長編映画二本立て興行に短編映画、ニュース映画とセットになって連続活劇の1章が上映されていた。
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『ディック・トレーシーのGメン』
ディック・トレーシー(ラルフ・バード)の危機
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シカゴのある映画館で
実際に、連続活劇の興行とは、どのようなものだったのか、シカゴのある映画館の上映実績を見てみよう。
映画
リパブリックが1939年9月に公開開始した『ディック・トレーシーのGメン(Dick Tracy’s G-Men, 1939)』は、「ディック・トレーシー」連続活劇シリーズの全4作中、3作目にあたる。監督はリパブリックの連続活劇を17本も担当したウィリアム・ホイットニーとジョン・イングリッシュのチーム、主演はラルフ・バードである。全15章、トータルで4時間25分の上映時間、撮影期間は6月17日から7月27日までで、$159,876の予算に対し、製作費は$163,530だった。これは同時期の、例えばMGMの映画の低予算作品でさえ$200,000を超える予算を割り当てられていることを考えると、1939年のハリウッドの映画製作費としてはかなり安い。
劇場
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閉鎖後のインペリアル劇場
写っているのはエントランス部分。実際の劇場は写真左側にごく一部写っている構造物。写真は1980年代のものと推定される。[出典:Cinema Treasures]
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シカゴ西部地域(Near West Side)、マディソン通り沿いにあったインペリアル劇場は1910年開業、1スクリーン、1,000席余りの、当時としては標準的な映画館だ。メジャースタジオ傘下のチェーンとは違い、独立系の映画館で、いわゆる「近所の映画館 neighborhood theater」として営業していた1)。このインペリアル劇場で『ディック・トレーシーのGメン』は、1939年の10月から翌年の1月まで、3か月かけて全編上映される。
当時、この地域にはユダヤ人や東欧からの移民が多く住んでおり、インペリアル劇場も1910年代にはイディッシュ劇などの演劇も行っていた。だが、シカゴ西部地域一帯に、1930年代から40年代にかけて黒人、そしてヒスパニック系移民が流入し、人種間の摩擦が起き始める。1968年、キング牧師暗殺に端を発するシカゴ暴動でこの地域一帯は混乱と破壊に見舞われる [1]。インペリアル劇場も火災に見舞われている。その後、1980年代に地域がスラム化した際に閉鎖したようだ。
興行
まず、1939年10月28日に『ディック・トレーシーのGメン』の第1回の上映が開始され、それから毎週、二本立て、カートゥーン、そして『ディック・トレーシー』の1話を組み合わせたプログラムを組んでいる2)。実際にはこれにニュース映画も追加されていたと推測される。二本立ては、例えば10月28日は、ランドルフ・スコット主演の西部劇『フロンティア・マーシャル(Frontier Marshall, 1939)』とプレストン・フォスター主演の『ニュースは夜つくられる(News Is Made At Night, 1939)』の組合せ、11月3日は、ジェームズ・キャグニー主演の『我れ暁に死す(Each Dawn I Die, 1939)』と『アンディ・ハーディ・ゲッツ・スプリング・フィーバー(Andy Hardy Gets Spring Fever, 1939)』の組合せ、といった具合だ。この二本立て以外にもカートゥーン、そして恐らくニュース映画も上映していただろう。例えば第1回を上映した10月28日の週のプログラムは、二本立て、カートゥーン、連続活劇、ニュース映画で3時間以上にも及ぶ。
| 二本立て | カートゥーン | 連続活劇 | ||
|---|---|---|---|---|
| 1939.10.28 | Frontier Marshall | News Is Made At Night | Donald Duck | Dick Tracy's G-Men Chapter 1 |
| 1939.11.3 | Each Dawn I Die | Andy Hardy Gets Spring Fever | (Cartoon) | Dick Tracy's G-Men Chapter 2 |
| 1939.11.10 | Goodbye, Mr. Chips | Man They Could Not Hang | (Cartoon) | Dick Tracy's G-Men Chapter 3 |
| 1939.11.17 | Coast Guard | Hell's Kitchen | (Cartoon) | Dick Tracy's G-Men Chapter 4 |
| 1939.11.24 | Riders of Black River | The Arizona Wildcat | (Cartoon) | Dick Tracy's G-Men Chapter 5 |
| 1939.12.1 | Arizona Kid | Boy Friend | (Cartoon) | Dick Tracy's G-Men Chapter 6 |
| 1939.12.8 | Smuggled Cargo | Mountain Rythm | (Cartoon) | Dick Tracy's G-Men Chapter 7 |
| 1939.12.15 | The Thunder West | The Gorilla | (Cartoon) | Dick Tracy's G-Men Chapter 8 |
| 1939.12.22 | Mutiny of the Elsinore | Covered Trailer | Mickey Mouse | Dick Tracy's G-Men Chapter 9 |
| 1939.12.29 | Saga of Death Valley | She Married A Cop | Mickey Mouse | Dick Tracy's G-Men Chapter 10 |
| 1940.1.5 | Winner Take All | Outpost of the Mounties | (Cartoon) | (Dick Tracy's G-Men Chapter 11) |
| 1940.1.12 | Rovin' Tumbleweeds | Day the Bookies Wept | (Cartoon) | (Dick Tracy's G-Men Chapter 12) |
| 1940.1.19 | Blue Montana Sky | Blackmail | (Cartoon) | (Dick Tracy's G-Men Chapter 13) |
| 1940.1.26 | 20,000 Men A Year | Oklahoma Frontier | (Cartoon) | (Dick Tracy's G-Men Chapter 14) |
| 1940.2.2 | Days of Jesse James | Heaven with Barbed Wire Fence | Cartoon | Dick Tracy's G-Men Chapter 15 |
インペリアル劇場は、土曜日(10月28日)は正午に上映開始し、深夜まで営業している。入場料は、午後6時30分までは15セント、その後は20セントとある。おそらく、子供向けの昼の部が2回、夜の部が2回という上映スケジュールであろう。
興味深いのは、1939年12月22日のプログラムである。この日は『エルシノアの乱(Munity of the Elsinore, 1937)』『カヴァード・トレイラー(The Covered Trailer, 1939)』の二本立て、ミッキーマウスのカートゥーン、そして『ディック・トレーシーのGメン』第9話というラインアップなのだが、広告によれば夜の9時に《ビッグ・ターキー・サプライズ》という催しがあるというのだ。これは当時のシカゴの独立系映画館のあいだで流行していた催しで、感謝祭、クリスマスの時期の土曜日に、ターキー(七面鳥)の料理を振舞う(実際には観客にお土産として渡すようだが)というものらしい。観客に対してこのようなサービスをする《距離》の感覚が、独立系映画館(neighborhood theater)の最大の特徴であろう。そして、ポヴァティ・ロウの映画スタジオが生き延びてこれたのも、メジャー傘下の封切館のスクリーンに食い込むことが難しくても、このような安くて気軽な《近所の映画館》のスクリーンはほぼ彼らが独占できたからである。
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シカゴの映画館の催しを伝える記事
シカゴの独立系映画館(“indies”)で、観客に七面鳥料理をふるまうイベント(“Turkey Surprise Night”)が流行しているというエピソードを伝える記事。メジャースタジオ傘下の映画館(“circuits”)でさえも、この流行に乗っているという。The Film Daily, 1939年11月22日。
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インペリアル劇場では、『ディック・トレーシーのGメン』全15話を3カ月かけて上映する。最終話は1940年2月2日に上映された。次の週からはやはりリパブリックの連続活劇『ゾロの戦う部隊(Zorro’s Fighting Legion, 1940)』の上映が開始されている。
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『ディック・トレーシーのGメン』
ギャングたちによってレールが外されている。飛行機を操縦するディック・トレーシーが、機関車の運転手たちに必死で危険を伝えようとするが…
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Notes
1)^ 独立系映画館 リパブリック・ピクチャーズのような《ポヴァティ・ロウ》の映画を扱うのは、主にメジャースタジオ傘下のチェーン劇場ではなく、独立系映画館だった。『ディック・トレーシーのGメン』を上映したシカゴの劇場は他に、ストラトフォード劇場、ジェフリー劇場、コスモ劇場、フロリック劇場など、すべて独立系の「近所の映画館」である。
2)^ インペリアル劇場のプログラム ここに記載したインペリアル劇場のプログラムは、Chicago Tribune紙の1939年10月から2月までに掲載されたインペリアル劇場の広告を参考にした。
References
[1]^ T. Briscoe and E. Olumhense, “RAGE, RIOTS, RUIN,” Apr. 02, 2018. http://graphics.chicagotribune.com/riots-chicago-1968-mlk/index.html