丸山真男のラビットホール

丸山真男の「日本の思想」を読み始めたら、深いラビットホールに落ちた話。

丸山真男「日本の思想」

私は以前から、彼の著作を手に取って読み始めては、いつも途中で放棄していた。なぜかはよく思い出せないが、最後まで読破した記憶がない。彼の《思想》の何かが気に入らないのか、それとも彼の書き方が合わないのか、ただ単に私に忍耐力が足りないのか。それが、今回、また読み始めてしまったのである。すぐに後悔し、何度も挫折しそうになった。それでも我慢しながら、重要と思われるところは抜き書きなどして読み進めていたのだが、あるところでついにラビット・ホールに深く落ちてしまった。一度落ちたら、あとはもうどこまでも深く落ちていくしかない。深く落ちていった。

まず、ラビット・ホールに落ちる少し前、私はここで道に迷ってしまっていた。本居宣長の儒教批判の様式について述べた箇所である。

ただこの場合いちじるしく目立つのは、宣長が、道とか自然とか性とかいうカテゴリーの一切の抽象化、規範化をからごころとして斥け、あらゆる言あげを排して感覚的事実そのままにこうとしたことで、そのために彼の批判はイデオロギー暴露ではありえても、一定の原理立場からするイデオロギー批判には本来なりえなかった。

丸山真男

一言でいうと本居宣長は、儒教を「支配者あるいは簒奪者の現実隠蔽あるいは美化」に奉仕するイデオロギーとして「暴露」はしたが、原理と原理を戦わせる「批判」にはなっていなかった、ということみたいである。ただ「イデオロギー暴露とイデオロギー批判って、そういう違い?」と混乱してしまった。唐突な感じが否めない。さらに進むとこんなことも書いてある。現代まで続く社会科学的思考にたいする(日本における)文学的あるいは「庶民的」批評家の嫌悪や反情の思想的源泉、なるものがどんなものかというところだ。

マルクス主義のイデオロギー批判はもともと一定の理論的および政治的立場から発しているのに、その様式が、ここでしばしば奇妙な形で逆に使われて、「無」理論からのイデオロギー暴露として、マルクス主義者に向けられるのである。

丸山真男

「イデオロギー批判」には理論的立場があるが、「イデオロギー暴露」にはそれがない。日本にいる、そのあたりの批評家たちは、理論的立場なんかないくせに、マルクス主義者に文句をいう。彼らのやっていることは「イデオロギー批判」じゃなくて、その様式を借りた「イデオロギー暴露」にすぎない。それが言いたいことなのだろう。ただ、それより前に書いてあったことと、なにか整合しないように思う。そこで、引き返してみることにした。「暴露」はこの「日本の思想」のなかで6回しか使われていないが、これは初めて使われる箇所である。

近代ヨーロッパにおいて、思想をその内在的な価値や論理的整合性という観点からよりも、むしろ「外から」、つまり思想の果す政治的社会的役割───現実の隠蔽とか美化とかいった───の指摘によって、あるいはその背後にかくされた動機や意図の暴露を通じて批判する様式は、いうまでもなくマルクスの観念形態論によってはじめて大規模に展開されたが、それは彼が近代市民社会および近代合理主義のはらむ問題性にたいする早熟の、───その意味で予言的な───批判者であったことと密接に関連している。したがってこうした批判様式は十九世紀においてはむしろ例外的であって、イデオロギー批判がヨーロッパでひろく一般化し常識化したのは、第一次世界大戦後の世代が「諸観念の真理性の一般的不信だけでなく、そうした観念の主張者の動機にたいする一般的不信を目撃」(K. Mannheim, Ideology and Utopia, Preface, by L. Wirth, XIII)して以降のことである。

丸山真男

「暴露を通じて批判する様式」と言っていて、「批判」の手続きとして「暴露」を位置付けているように読めるだろう。あとのほうで「(イデオロギー)批判」そのものと、その手続きである「(イデオロギー)暴露」を比較することになるという、それじたい飲み込めないことを飲み込むにしても、しかし、この文章、なんか、おかしい気がするのだ。何がおかしいのか、言い当てることができないが、おかしい。

ここで私はラビット・ホールに落ちた。この違和感はもう放っておけない。ラビット・ホールの奥の方へ進むことにした。

丸山の著作の他の部分でも引っかかっていたのだが、「批判様式」と「(イデオロギー)批判」が互換的に使われているのが気にかかって仕方がない。どうでもいいことのように思われるかもしれないが、様式モードに関する問題なのか、それとも批判そのものに関する問題なのか、曖昧なまま、議論が進んでいくのだ。だいたい、彼の言う「様式」とは何なのか。後段で国学の儒教批判について論ずるときに、「嫌悪あるいは侮蔑」「態度」「考え方」「批判様式」「思考」という5つの点を「様式」とまとめているのだが、果たして「嫌悪あるいは侮蔑」が「様式」なのか。奇妙と言わざるをえない。

Louis Wirth, “Preface”

この「イデオロギー暴露」「イデオロギー批判」という概念は、どういうものか。丸山が引用した「諸観念の真理性の一般的不信だけでなく、そうした観念の主張者の動機にたいする一般的不信を目撃」という文章、ここに鍵はないだろうか。まずこの文章がどのような文脈で出てきた言説なのか、確認してみよう。

これはカール・マンハイム Karl Mannheimの「イデオロギーとユートピア Ideology and Utopia」からの引用なのだが、実はこれはマンハイムの本文からの引用ではなく、「イデオロギーとユートピア」の英語版においてルイス・ワース Louis Wirth が巻頭に寄せた「緒言 Preface」、そこからの引用だ [1]

We are witnessing not only general distrust of the validity of ideas but of the motives of those who assert them.

Louis Wirth

これを読むと、どうも丸山が引用したときとは違う印象を受ける。

まず「general distrust」が「一般的不信」と訳されているのだが、この「general」はいったい何を意味しているのか。「不信 distrust」とは、何にたいして誰が抱く不信なのか。

もう少しワースの論述のコンテクストを見てみよう。マンハイムの「イデオロギーとユートピア」のドイツ語原典「Ideologie und Utopie」は1929年、ワイマール時代後期にドイツのボンで出版された。しかし、この後、ナチスの政権奪取とともに、ユダヤ系であるマンハイムは亡命を余儀なくされる。一方、丸山が引用した「緒言」が寄せられた「イデオロギーとユートピア」の英語版は、1936年に出版された。すなわち、マンハイムの本文は、ナチスが政権を奪取する前にドイツで書かれたものである一方、ワースの「緒言」はナチス政権奪取後、欧州での戦争前にアメリカで書かれたものなのだ。

この背景がワースの論には色濃く反映されている。

What was once regarded as the esoteric concern of a few intellectuals in a single country (Germany) has become the common plight of the modern man.

かつては、ある一国(ドイツ)における一握りのインテリが取り組んでいた晦渋な問題に過ぎなかったものが、今や近代人の共通の喫緊の課題となっている。

Louis Wirth
拙訳

この後に続く議論のなかで丸山が引用した部分が登場する。

It seems to be characteristic of our period that norms and truths which were once believed to be absolute, universal, and eternal, or which were accepted with blissful unawareness of their implications, are being questioned. In the light of modern thought and investigation, much of what was once taken for granted is declared to be in need of demonstration and proof. The criteria of proof themselves have become subjects of dispute. We are witnessing not only general distrust of the validity of ideas but of the motives of those who assert them.

Louis Wirth

ワースは「かつて、絶対的で、普遍的で、恒久的なものと信じられていた、あるいはそれが意味するところを深く考えることなく享受していた、規範や真実が、今問い直されている」と述べる。この記述の奥には、マンハイムの亡命の動機である、ナチスの台頭が念頭に置かれているのは間違いない。すなわち、ワイマール時代のドイツにみられた「分断され、反目しあう社会」がナチズムへ移行した事実が、ドイツのみならず、ヨーロッパ、そして世界全体に再び危機をもたらすのではないかという危惧としてひしひしと感じられるようになった、そのことを指している。

ここでいう「general distrust」/「一般的不信」は、「一般人が抱く不信」なのか、それとも「ある種の知識人が抱く物事全般(一般)に対する不信」なのか、どちらなのか。ワースの論の運び方は「in the light of modern thought and investigation」というフレーズ、そしてそれ以降からも、後者に近いように思う。しかし、日本語の「一般的不信」という言葉のもつニュアンス、そして丸山が「イデオロギー批判がヨーロッパでひろく一般化し常識化したのは」とついだうえでの「一般」はどうしても「一般人」「世間一般」という意味になるように、文章が組まれていると思う。つまり、言葉の意味が変わるように引用されているように見えるのだ。

もうひとつ、翻訳の問題としては、「those who assert them」が「観念の主張者」と訳されているのも気になる点だ。英語の「assert」には「証明や証拠がないにもかかわらず、強硬に主張する(Marriam Webster)」というニュアンスもあり、「信者」「崇拝者」とまではいかないまでも、単なる「主張者」では物足りない感じがする。そういった「根拠のない主張」だからこそ、それを主張する者の動機への「不信 distrust」が想起されるというニュアンスがでてくるように思われる。

ワースは、極めて曇った、慎重な書き方をしているように思える。まず「規範や真実 norms and truths」が複数形で書かれていること。絶対的真実(単数形)という哲学的命題とは少し離れた位置にある「複数の規範と真実」というマンハイムの論とそのコンテクストに沿ったような表現。さらに「問い直されている being questioned」と受動態であらわして、「問う」主体を明確にしなかったこと。さらに言えば「blissful unawareness」の主体は誰か、これも明示されていない。なぜ、明示されないのか、それはあまりに細くて、たぶん行き止まりになりそうなトンネルなので、その先には行かないでおこう。

そして、ワースは「かつて当たり前だと思っていたものについて証明する必要が出てきた」という。分断され、反目しあう社会のなかで「証拠のクライテリアそのものが論争の的になる The criteria of proof themselves have become subjects of dispute」というあたりなど、今の私たちにも妙に親近感のある記述だが、そこはいったんおいて先に進もう。

何がおかしいと言って、丸山が「以降」といったところだ。もう一度引用する。

したがってこうした批判様式は十九世紀においてはむしろ例外的であって、イデオロギー批判がヨーロッパでひろく一般化し常識化したのは、第一次世界大戦後の世代が「諸観念の真理性の一般的不信だけでなく、そうした観念の主張者の動機にたいする一般的不信を目撃」して以降のことである

丸山真男

これでは、ワースの現在進行形(we are witnessing)の記述「以降」になる。それでは、第二次世界大戦、そして冷戦の時代になってしまう。おかしい。

しかし、とりあえず、このワースの文脈のなかでは「イデオロギー暴露」に関わる言説は出てこない。だとすれば、なぜ丸山はこの文章を引用したのか。共通する文脈も、論理的な筋立てもなく、突然、この文章を引用していたのだ。このトンネルにはまた戻ってくるとして、別のトンネルに向かってみたい。

イデオロギー暴露の語源

むしろ、日本語の言論のなかで「イデオロギー暴露」という言葉はどのように使われたのか。それを追ってみることにした。いろいろ調査していると、丸山真男を師と仰いだ永井陽之助が、この言葉を使って、その意味するところを鮮やかに描き出していたのである。

とくに、カール・マンハイムが活躍した第一次世界大戦後のワイマール時代、マルクス=レーニン主義は、そのもつ強力な武器 ─── つまり、論敵の思想をそのよってたつ階級的インタレストに還元し、その存在拘束性を指摘することで、論敵の思想を相対化し、その存在自体を全面的に否定しさるというイデオロギー暴露の方法論で武装されていた。当時、このイデオロギー暴露の方法が一般化する世界で、いかにしてその相対主義の泥沼から脱出するか、という知的模索のなかから生まれてきたのが「知識社会学」であった。マルクス主義者が、論敵の虚偽意識を、かれらのよってたつ既得権益に帰属させて批判するなら、マルクス主義者のよってたつ立場も、おなじく、労働者階級(プロレタリアート)というインタレストに深く制約されたものにすぎないのではないか。この種の知的泥仕合いは、じじつ、ワイマール体制下のイデオロギー混迷をつくりだし、その決着は、究極のところ、力による決済以外にない、ということになった。「能動的ニヒリズムの革命」が最後の勝利者になった理由である。

永井陽之助 [2]

永井によれば、マルクス主義者たちも結局は「イデオロギー暴露」の方法論にとどまり(労働者階級というインタレストに深く制約されたものにすぎない)、ワイマール期ドイツの知的泥仕合いのいちプレーヤーに過ぎなかった、ということになる。ここで気をつけたいのは「イデオロギー批判」ではなく、「イデオロギー暴露」が各方面で繰り広げられていた、と表現されている点だ。その結果「ワイマール体制下のイデオロギー混迷」、すなわち「general distrust」に至った。これは、先ほどのルイス・ワースの文章とその(歴史的)文脈にも呼応していて、納得できる内容だ。

しかし、丸山によれば、(いつのことだがよくわからないのだが)ヨーロッパでひろく一般化し常識化したのは、彼の言う「イデオロギー批判」であって、それは「イデオロギー暴露」とは違うことになっている。そして、マルクス主義者たちは暴露をしたうえで観念論で戦った「イデオロギー批判」をしたことになっている。つまり、マルクス主義者は泥仕合には参加していない、もっと高次元で戦っていたのだ、ということになる。

カール・マンハイムにカギがあるに違いない。実はここで、散々いろんなトンネルにはまりこんだのだが、そこは割愛して、手がかりを見つけたトンネルのあたりから進めていこう。

カール・マンハイムの知識社会学はもちろん戦前の日本にすでに紹介されていた。

四、『虚偽曝露とイデオロギー曝露との間の本質的な差異は、第一の曝露が倫理的人格を對象としそしてかゝる意味において曝露によつて言表の背後にある道徳的主體を殲滅しようとするのに反して、イデオロギー曝露はその純粋なる形態においてはいはば無意識に作用する社會的精神的な生命的な領域を攻撃し、下層意識の過程を、之によつて言表の背後にゐる人間の道徳的存在を殲滅せんがためでなく、寧ろかかる機能性の曝露によつて一定の諸観念をその社會的活動性において解體せんがために指示するところに、存するのである』

新明正道「知識社会学の諸相」
1932年 [3 p.361]

これは、実はカール・マンハイムの論文「知識社会学の問題 Das Problem einer Soziologie des Wissens」からの抜粋翻訳である。この論文は「イデオロギーとユートピア」の4年前、1925年に発表されたものだ。

Der wesentliche Unterschied zwischen Lügenenthüllung und Ideologieenthüllung besteht darin, daß die erstere Enthüllung auf die ethische Persönlichkeit ausgeht und in diesem Sinne durch die Enthüllung das hinter der Aussage stehende moralische Subjekt vernichten will, wogegen die Ideologieenthüllung in ihrer reinen Gestalt sozusagen eine unbewußt wirkende, sozialgeistige Vitalsphäre angreift, einen Prozeß im Unterbewußtsein aufweisen will, aber nicht um dadurch die moralische Existenz der hinter der Aussage stehenden Menschen zu vernichten, sondern um durch diese Enthüllung der Funktionalität bestimmte Ideen in ihrer sozialen Wirksamkeit aufzulösen.

Karl Mannheim [4]

これは戦後に日本の現代語訳もあるのだが、たいして分かり易くなっているとは言えない。正直なところ、英語訳がいちばん分かり易くて(それはそれで問題だとは思うが)平易に表現すれば「嘘を暴くこと(虚偽暴露)とは、嘘つきだと言ってその人を葬ろうとすること」「イデオロギーの暴露とは、そのイデオロギーが社会においてどんな働きをするかを暴いて、その思想の効き目をなくすこと」となる[5]

「暴露」のドイツ語原語は「Enthüllung(暴露すること、unmasking)」である。これに「Lüge(嘘、lie)」がついて「Lügenenthüllung(嘘を暴くこと、unmasking a lie)」、「Ideologie」がついて「Ideologieenthüllung(イデオロギーを暴露すること、unmasking an ideology)」となる。ドイツ語ではどちらも名詞だが、英語では「unmasking」と動名詞による表現となってしまう。日本語では「虚偽暴露」「イデオロギー暴露」と名詞化できているのは、概念の表現としては英語より手際よくなって良いようにみえる。

しかし、マンハイムの著作の中で「イデオロギー暴露」と「イデオロギー批判」の比較について述べているところはない。「暴露」については「イデオロギーとユートピア」のなかで使用され、議論されているが、上記の論文の記述にある「暴露」の概念から外れるものではない。さらに私が調べた限り、丸山の著作のなかでも「日本の思想」より前に「イデオロギー暴露」と「イデオロギー批判」について述べた箇所はないようにみえる。たとえあったとしても、「日本の思想」のなかでそれを再記述したり、引用したり、参照することができたはずだ。いくらなんでも、怠惰なのではないか。

マンハイムとその周辺の文章をみていくと、ただ単に敵の「嘘」を暴いて「嘘つき」ということ(虚偽暴露)と、思想や政策の裏側を暴いて社会的意味において無効化すること(イデオロギー暴露)については、複数の著述者のあいだで了解されているし、整合性がとれていると理解できるが、丸山だけ違う意味で「イデオロギー暴露」を使っている。マンハイムたちが(イデオロギー)暴露の泥仕合にマルクス主義者も参加していたよね、と言っているのに対し、丸山は、イデオロギー暴露というのは自分の考えのない奴らがやっている喧嘩みたいなもので、マルクス主義者は一段上にいてイデオロギー批判なるものをしていた、と主張しているのだ。

この主張がレトリックとして極めて不誠実なのは、自陣営に対する批判にたいして「それはイデオロギー暴露でしかない」という話法を与えてしまうところだ。調べていると、日本の保守論者が、丸山真男の西洋思想や文化に関する視野狭窄を批判しているのをたまに見かけるのだが、それに対する《丸山陣営》の反応といえば「単なるイデオロギー暴露にすぎない」と一蹴するだけだったのは、このレトリックの不誠実さをよく表している。

さらに問題なのは、丸山が「日本の思想」のなかでどちらの言葉も定義することなく書き始めて、しかも明らかに自分の使う意味とは違うコンテクストで書かれたものを引用し、あたかも歴史的なバックボーンがあるかのごとく装っていることだ。あとから「イデオロギー暴露はこういうもので、イデオロギー批判はこういうもの」と述べてはいるのだが、最初が怪しいので強い違和感を私は抱いてしまった。丸山のいう「イデオロギー暴露」「イデオロギー批判」は、それぞれマンハイムのいう「虚偽暴露」「イデオロギー暴露」に近いようにも思える。そして丸山は「マルクス主義者はイデオロギー批判をおこなっていた」ということによって、「イデオロギー暴露の泥仕合」から「マルクス主義者」を言葉のうえで解除しようとした、とさえ思える。

私は、丸山真男にたいして、ある種の先入観を持っている。その点は認めておきたい。私は高校まで、地方の国立大学の近くに住んでいた。私が小学生の頃には、キャンパスでの学生運動の時代が終わって、その後の過激派や日本赤軍の時代になっていた。私の両親は大学の関係者でもなんでもないのだが、大学生たちと付き合いがあり、よく麻雀なんかをしていた。知り合いの大学生たちの大部分はいわゆる《ノンポリ》だったが、よく耳にしていたのは「大学教授のなかには、ローソだ、アンポだ、とアジるだけアジっておいて、風向きが悪くなると頬かむりをしたやつがいる」「学生は一度でもヘルメットかぶると就職もできないが、そういうアカの教授は今ものうのうと教授やっている」といったことだった。

そのときにたいてい出てくる名前が「まるやままさお」。本当かどうかは知らないが、しょっちゅう耳にしていたし、「ま」が多くて、コロコロした感じで「のびのびた」みたいに小学生にも覚えやすい名前だった。誰だか知らないけれど、ロクでもない奴らしい、と刷り込まれてしまった。

それ以来、私のなかでは、「まるやままさお」は「胡散臭いやつ」だった。東京で大学生になってからも、まさおの本はひたすら胡散臭いと敬遠するか、課題で読み始めても放り出すかしていた。私のなかでは、彼の書いた本は「たつ鳥はあとを濁さず~カルロス・ゴーンの経営指南」とか「ウラジミール・プーチン:みんななかよし──怖くない政治学」といった本と同じくらいいぶかしい。だから、こんなひねくれた読み方しているのだろう。

言葉の定義について、こういった疑念を持って調べて、その矛盾を衝こうとするような行為こそ「マルクス主義者」から「単なるイデオロギー暴露に過ぎない」という批判を受けるのかもしれない。しかし、私としては、カール・マンハイムがワイマール共和制の混沌のなかで指摘した「『ブルジョア的なもの』をそのイデオロギー性の点でみるのは、もはや社会主義思想家の特権ではない [6 p.45]」ということ、すなわち、ナチズムを含む、マルクス主義以外の主義もブルジョアのイデオロギーを暴露して否定可能だったこと、そして、その結果として「能動的ニヒリズムの革命」が暴力的に勝利してしまい、マンハイム自身、亡命後に「民主主義が今後も存続すべきだとしたら、現代の民主主義は戦闘的にならなければならない [7 p.243]」と主張していたことも併せて考えなければならないと思う。つまり、マルクス主義であろうが、ポリティカルコレクトネスであろうが、MAGAであろうが、なんであろうが「君の主張は、結局、実家が太いから言えるんだよね」「○○主義者って正義に酔っているんだよね」「××のフォロワー、承認欲求強すぎ」「○○系ってさ情弱」「我ら令和のプロレタリアートは」といった言説は、思想やイズムや主張の裏側(動機や利害)を暴いて社会的意味において無効化しようとしているのかもしれないが、議論の閉塞を招いて暴力的な権力奪取を誘発してしまう可能性があり、そうなってしまうと、結果的にポリティカルな言説としては無効になる覚悟を持っていなければならない、それがマンハイムが1930年代に痛感したことだったのではないか。

社会科学理論における「暴露 unmasking」ということばの問題は、どうやら根が深いようだ。香港の嶺南大學教授だったピーター・ベアが、この語のもたらした混沌とした状況を整理するために一冊の本を著しているほどだ[8]。ベアは、「暴露」と「暴露されるもの」の混同、使う人によって違う「暴露」ということばの意味合いの違い、「暴露」することと「真/偽」の仮定の問題、などを挙げて、歴史的にこの語が混乱を生んできた言論状況を分析している。ベアは、スティーブン・バノンの映画『オキュパイ・アンマスクド(Occupy Unmasked, 2011)』など挙げながら、近年のアメリカでの保守/左派のあいだで起きている暴露のやり取りを、学術的議論ではない、大衆文化のなかでの暴露合戦と位置付けている。

ところで、「日本の思想」を読んでいると、丸山は日本人という民族をこんなにも特殊だと思っていたのか、と驚かされる。それはこの本が出版された時代における、国家間、民族間の交流の希薄さからくるものなのか、それとも丸山独自のマルクス主義との相克を中心に据えた歴史観からくるものなのか、ちょっと断言できないが、いずれにせよ、戦後民主主義の核の一つに、こういった民族的コンプレックスとでも呼ばれるものに還元され得るような態度があったのは想像に難くない。

このマンハイムの認識を遡っていくと、私にとって謎だった、いくつかの事柄が見通しやすくなってきた。そのひとつが《プロパガンダ映画》の問題だった。

References

[1]^ K. Mannheim, “Ideology and Utopia: An Introduction to the Sociology of Knowledge.” Routledge & K. Paul, 1936. Available: https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.187027/page/n1/mode/2up

[2]^ 永井陽之助, “二十世紀と共に生きて,” in 二十世紀の遺産, 永井陽之助, Ed. 文芸春秋, 1985. Available: https://dl.ndl.go.jp/pid/12177708/1/10

[3]^ 新明正道, “知識社会学の諸相” 宝文館, 1932. Available: https://dl.ndl.go.jp/pid/1902605

[4]^ K. Mannheim, “Das Problem einer Soziologie des Wissens,” Archiv fur Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, vol. 53, no. 3, pp. 577–622, 1925, Available: https://archive.org/details/archiv-fur-sozialwissenschaft-und-sozialpolitik-53/page/n595/mode/2up

[5]^ K. Mannheim, “The Problem of A Sociology of Knowledge,” in Essays on the Sociology of Knowledge, London : Routledge & K. Paul, 1952. Available: https://archive.org/details/essaysonsociolog00mann/page/134/mode/2up

[6]^ カール・マンハイム, 樺俊雄(翻訳), “イデオロギーとユートピア,” vol. 4, 潮出版社, 1976. Available: https://dl.ndl.go.jp/pid/12128245

[7]^ カール・マンハイム, 長谷川善計(翻訳), “現代の診断,” vol. 5, 潮出版社, 1976. Available: https://dl.ndl.go.jp/pid/12128240/1/1

[8]^ P. Baehr, “The Unmasking Style in Social Theory.” Routledge, 2019. Available: https://www.researchgate.net/publication/332947356_The_Unmasking_Style_in_Social_Theory

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