こんにちは。Murderous Inkです。
2026年8月22日のニュースレターです。
台東区松が谷にある曹源寺。別名を「かっぱ寺」といいます。
江戸時代、この地域は水はけが悪く、農地は不作、商売は不入り、住民は難渋したといいます。ここで雨合羽売りで富をなした合羽川太郎という人物が私財を投げ出して掘割工事をしたのだそうです。その治水工事のおかげで一帯は水害に悩まされなくなりました。その工事を地域の河童が手伝ったという言い伝えがあります。合羽川太郎の墓は曹源寺にあり、寺も「かっぱ寺」と呼ばれるようになりました。
この曹源寺には、かつて、8月21日から23日にかけて「かっぱ祭り」という奇祭がありました。
昭和二十七年(1952年)、付近住民の稲垣又吉、青木冨次、萩原楽一の諸氏は、この河童を、商売繁昌、福の神とあがめ、“河童祭”を企画した。河童神輿や胡瓜屋台を作り、河童の面に河童の半天を着て町内を練り廻った。境内に盆踊りにちなんで舞台を作り、河童踊りを催した。またビール会社や酒造会社のスポンサーを獲得して、ビールや清酒の飲みくらべも行なった。当時全くの奇祭で、テレビ・ラジオに宣伝され、新聞紙も大きく取り上げて、全国的に宣伝された。この奇祭は、その後十年間継続されたが、本堂の建築と交通事情のため、昭和三十九年(1964年)中止の止むなきに至った。
安藤由松『松葉町史』
かっぱ祭りはデパートともタイアップして催し物をしていたようで、その様子をNHKのアーカイブでみることができます。しかし、このかっぱ踊りの音楽、ブギウギみたいで、興味深いです。ニュース映像ではサウンドトラックをかなり編集することが多いので、現地録音ではないのかもしれませんが。
ホロコーストの映像

ホロコーストの映像は存在するか
加藤有子氏の論文『アーカイヴ写真のカラー化と「リアリティ」――技術と倫理、歴史への責任』を読みました。アーカイブ映像や写真の《カラー化》が極めてカジュアルに行われ、SNSに流れていく様子を批判的に見ていたものの、その批判の根拠をうまく整理できていなかった私としては、論点が整理され、歴史的な見地からも見通しが明るくなる、貴重な文章でした。
と同時に、いつも不思議に思うことがあって、それがこの論文にも登場しました。「ホロコーストを加害者が写した写真、映像は存在しない」という話です。これはたいてい、レジスタンス/被収容者がアウシュヴィッツ゠ビルケナウ収容所内でかくれて撮影した「4枚の写真」の存在とセットになって語られます。この論文では「ホロコーストの場合、加害側がその写真を残さない、あるいは流通させない」「絶滅収容所における殺戮の写真や動画がほとんど残されていない」という慎重な表現になっているものの、そういった映像の存在については否定形をもちいて表現しています。
確かに、ホロコーストをナチス・ドイツの強制収容所内でのユダヤ人大量虐殺と定義すると、加害者が写した写真、映像は見つかっていない、と言えるかもしれません。しかし、東部戦線の各地で行われた残虐行為についての映像に関して言えば、大量のフィルムの存在が確認されていて、そのなかにはナチスのプロパガンダ部隊(Propagandakompanien, PK)が撮影したものも含まれています。また、強制収容所内を撮影した写真やフィルムに関しても、「見つかっていない」だけで「存在した」のはほぼ間違いないのです。
事実、アウシュヴィッツでは、カメラ、映画カメラでさえ、見かけるのは決して珍しいことではなかった。マウトハウゼン、ウェステルボルグ、テレージエンシュタット、ダッハウなどの収容所と同じく、アウシュヴィッツも公式カメラマンと現像所を備えていた。
Filmography of the Genocide
では、どうして「ホロコーストを加害者が写した写真、映像は存在しない」という言説が強く残っているのか。
ひとつには、網羅的なフィルモグラフィーが作成されていなかったことが挙げられます。長年、ドイツの連邦公文書館のサイトに現存する映像資料のリストがあるのですが、非常に見づらいのと、それぞれのフィルムの由来や保管場所などの記載が不完全でした。しかし、2022年にウェブサイト“Research in Film and History”が公開した“Filmography of the Genocide”は、そういった問題を解消し、最も網羅的でかつ正確な情報に基づいて製作されたものです。
「ホロコーストを加害者が写した写真、映像は存在しない」と言う言説が普及している、もう一つの理由は、『ショア(Shoah, 1985)』を発端とするクロード・ランズマンの展開した議論の影響です。ランズマンはホロコーストを映像化する不可能性を主張し、そのような映像を探すことじたいがホロコースト否定につながると主張したのです。
あなたの質問に戻りますと、もし仮に ──反道徳的な理由か、あるいは奇跡かわかりませんが── ガス室で3000人の人がいっぺんに死ぬ様子が撮影されたフィルムがあったとしても、だいたい、誰一人としてそれを見ることができないでしょう。いずれにせよ、私は『ショア』にそのフィルムを挿入することなどしません。むしろそんなフィルムは焼却してしまいたい。それは可視化できないのです。見ることはできないのです。
クロード・ランズマン1
私は、ホロコーストのような悲劇の再現不可能性を尊重する姿勢というのは、実は非常に重要だと思います。ランズマンはスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト(Schindler’s List, 1993)』を強い口調で非難しましたが、確かにあの映画が、残虐なシーンを含めて、一種の感動ドラマ、エンターテインメントだったという側面は否定できません。
また、ナチス・ドイツ政権下で製作された映画やニュース映像、そして多くのホロコーストに関わるアーカイブ映像が、オンライン上で簡単に閲覧できたり、取引されていたりします。それらが、ホロコースト否定論者の攻撃の的になっているケースは頻繁にあります。と同時に、ナチスのプロパガンダ映画やニュース映画をアップロードしているユーザーや、販売しているサイトのなかには、明らかにネオナチが関わっていたり、運営していたりするものが多数あります。ホロコースト否定論者のなかに、本当にホロコーストが存在しなかったと信じている人間はいませんし、ネオナチたちはナチスの映像を「今ここに」引き寄せて実体化させようとしている。否定論者もネオナチも、まさしくホロコーストを今も《楽しんで》いるのです。そういった意味において、ランズマンが「そんなフィルムは焼却してしまいたい」と言ったのは、深く理解できるのです。
ただ、一方で、実際に存在しているフィルムに言及せず(無視して)「ホロコーストを加害者が写した写真、映像は(ほとんど)存在しない」というのはなぜなんだろう、とも思うのです。いわゆるガス殺にしても、ナチス占領下の現マヒリョウ(Магілёў, [英] Mogilev, 現ベラルーシ)において、ナチス親衛隊の将校によって撮影された「障がい者のガス殺」のフィルムは残っているのです。そしてその存在は1948年から広く知られていたはずなのです。にもかかわらず、その存在に言及しないのはなぜか。障がい者の虐殺とユダヤ人の虐殺のあいだに、なにか区別をもうける必要があるのか。どうしてもそこに引っかかってしまうのです。
シュルバーグ/ゴールドシュミット
マヒリョウで撮影された「障がい者のガス殺」のフィルム。これはガス(この場合は自動車の排ガス)を大量殺人に使用する実験の段階の映像で、のちの強制収容所での組織化され施設化されたザイクロンBによるガス室での虐殺への道の貴重な証拠です。この実験を実施したのは、SSアインザッツグルッペンBの将校、アルトゥール・ネーベでした。
1941年の9月及び10月、ネーベのSS部隊は、マヒリョウとミンスクのユダヤ人、そしてこの地域の精神病院に収容されている患者を抹殺するように指令を受けた。人間のガス殺実験を最初におこなったとされる、ベルリンの法医学研究所に在籍していた化学者、アルベルト・ウィドマンの協力のもと、部隊は実行にのりだした。急遽作られたガス室を使用する様子を撮影したのは、あきらかにネーベ本人である。
サンドラ・シュルバーグ2
このフィルムに写っている看護師は、占領地域の病院の看護師(ソ連で使用されていた白衣を着ているといいます)と考えられています。
アルトゥール・ネーベは、映画愛好家でアマチュアカメラマンでした。ネーベは1944年のヒトラー暗殺未遂事件に関与し逃亡していましたが1945年3月に逮捕され処刑されました。彼が撮影したとされる、このフィルムが発見されたのは、戦後のことです。ルドルフ・ゴールドシュミット博士という人物が、ネーベの死後にベルリン郊外の彼の家を購入し、そこで16㎜のフィルムを発見したのだそうです。ゴールドシュミット博士はかつてMGMのドイツ駐在員として働いたこともあり、戦後もドイツの映画輸出会社の代表もつとめていた人物です。ハリウッドの映画人とも人脈がある。彼は、ニュールンベルグ裁判のドキュメンタリー映画を製作していたスチュアート・シュルバーグに、このフィルムを送ります。
バッドとスチュアートのシュルバーグ兄弟は、ハリウッドの黎明期の名プロデューサー、B・P・シュルバーグの息子たちで、戦時中から戦後はジョン・フォード率いるOSSの映画班に属していました。戦後、シュルバーグ兄弟は、ニュールンベルグ裁判でナチスの戦争犯罪を裁くための映像資料を収集する仕事にたずさわり、ナチスのプロパガンダ映画やニュース映画、そして様々な映像資料を集成したドキュメンタリー映画『The Nazi Plan (1945)』『Nürnberg und seine Lehre (1948)』を製作します。ニュールンベルグ裁判の映像資料を準備するために、レニ・リーフェンシュタールを拘束して証言させたのはバッド・シュルバーグでした。
スチュアート・シュルバーグが、ネーベのフィルムを入手したとき、ニュールンベルグ裁判はすでに終わっており、裁判における戦争犯罪の証拠としては使用されませんでした。しかし、シュルバーグはこのフィルムを映画『Nürnberg und seine Lehre』に使用し、ナチスの親衛隊が大量虐殺の手法を模索していた経緯を告発したのでした。
『Filmmakers for the Prosecution (2021)』は、バッド(左)とスチュアート(右)のシュルバーグ兄弟が、戦後のドイツで、戦争犯罪の証拠となるフィルムを発見し、ドキュメンタリーを製作していく過程をおったドキュメンタリー。フィルムを見ているのはヒトラーの専属カメラマンだったハインリヒ・ホフマン。
アルトゥール・ネーベがやったこと
最初の実験はミンスクでおこなわれた。複数の障がい者をバンカーに閉じ込め、ダイナマイトで爆破するというものだった。結果はおぞましいものだった。バンカーと被害者は完全に破壊されていた。バラバラになった身体の一部が、かなり広くまき散らされ、周囲の木にひっかかった手や足を集めなければならなかった。ネーベとウィドマンは、ダイナマイトを使うのは効率的でないと結論せざるを得なかった。二回目の実験は、次の日にマヒリョウでおこなわれた。密閉された部屋に障がい者を閉じ込め、最初は乗用車、そしてトラックからの排ガスをホースを使ってこの部屋に流し込んだ。この方法が効率的であるということが明らかになり、その後、最終問題解決の殺人収容所で使用される手法のモデルになったのである。
The Origins of Nazi Genocide3
フィルムのその後
ところが、戦後の世界はすでに東西冷戦に突入していました。アメリカとソ連が共同で製作した『Nürnberg und seine Lehre』はドイツ国内では公開されたものの、アメリカでは公開されず、そのままお蔵入りとなってしまったのです。
『Nürnberg und seine Lehre』は21世紀に入ってから、スチュアート・シュルバーグの娘、サンドラ・シュルバーグの手によって修復、公開されます。ガス殺実験が収められた部分はここで見ることができます(00:33~01:10)。
ネーベが撮影した障がい者ガス殺のフィルムは、このシュルバーグの映画に引用されたきりで、その後長いあいだ話題になることはありませんでした(ネーベの家で発見された16㎜フィルムは行方不明です)。この映像の存在を知っていたホロコースト記念博物館(アメリカ)や帝国戦争博物館(イギリス)の研究者たちは、ソ連か東ドイツによる演出映像、今の言葉で言う「フェイク映像」の可能性もあると考えていたようです。
この映像の真正性(authenticity)が確かなものとなったのは、1980年以降のことです。特に映像に登場するトラックがナンバープレートからアインザッツコマンド8のものであることが分かったこと、さらにサンドラ・シュルバーグの証言によって、映像の由来が明らかになったこと、またウェブサイト「Holocaust Controversies」によって、このガス殺が行われた建物がマヒリョウに存在していた精神病院であることが証明され、実際にネーベが撮影した実験の記録だということが明らかになったのです。
しかし、この映像に、実際の「殺人の瞬間」が写っているわけではありません。建物の前に患者たちがつられてこられる様子、建物の外壁にパイプが差し込まれている様子、自動車、の映像がつなげられているだけです。私たちは、このモンタージュによって、殺戮が行われたことを推測するに過ぎないのです。
たとえ映像がフェイクではない、「真正性」を備えていたとしても、結局は「映像」でしかありません。ガス殺の実験の最中にカメラを回したからと言って、ガス殺の現実が伝わるわけではありません。映像は何も再現できないのです。アインザッツグルッペンによるユダヤ人虐殺の現場を撮影した、唯一現存が確認されている映像、ラトビアのリエパーヤ(Liepāja)で1941年7月または8月に撮影されたフィルム4をもってしても、ホロコーストの悲劇が《再現》され、私たちが《理解》できるわけではありません。すなわち、映像の存在を認めたからと言って、映像の再現不可能性が解除されるわけではありません。映像はホロコーストを《再現》できないことには変わりはないのです。
ニュース切り抜き
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ロカルノ映画祭で、ハリウッドのブラックリストの時代を振り返る特集「Red & Black – Hollywood Left and the Blacklist」が開催されます。特にエイブラハム・ポロンスキーの生涯を追ったドキュメンタリー(“Dangerous Citizen: The Life and Times of Abraham Polonsky”)とブラックリストされた人々が集まった1983年のイベントを記録したドキュメンタリー(“The Hollywood Blacklist: The Survivors Tell Their Stories”)は注目です。
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ニューヨーク映画祭でリヴァイヴァル上映のラインアップが発表。ケン・ラッセルの『肉体の悪魔(The Devils, 1971)』、パウエル&プレスバーガーの『女狐(Gone to Earth, 1950)』、侯孝賢監督の『憂鬱な楽園(南國再見、南國, 1996)』ほか12本が上映される予定です。
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オーストラリアの映像・音響アーカイブ(National Film and Sound Archive of Australia)が、独創的で影響力のある、オーストラリアのYouTuber 10人のコンテンツをアーカイブすると発表。
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小林正樹監督の『怪談(1965)』のオリジナル3時間バージョンがJonas Filmsで4Kリストアされ、9月に公開予定。このリストア、トレイラーを見ても分かりますが、色彩がすごい。以前見たときと印象が違う。こんな映画だったのか。
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ワーナーブラザーズの倉庫から見つかった35㎜フィルムと8㎜フィルムの箱。エルビス・プレスリーのコンサート映像の数々。それを編集した“EPiC: Elvis Presley in Concert (2026)”のブルーレイがリリース。
C. Lanzmann, R. Larson, and D. Rodowick, “Seminar With Claude Lanzmann 11 April 1990,” Yale French Studies, no. 79, pp. 82–99, 1991, doi: 10.2307/2930247.
Sandra Schulberg, “Filmmakers for the Prosecution, The Making of Nuremberg: Its Lesson for Today”
https://web.archive.org/web/20161114121720/https://www.americanbar.org/content/dam/aba/events/international_law/2012/08/section_of_internationallawattheabas2012annualmeeting/makingofnuremberg_itslessonfortoday.authcheckdam.pdf
H. Friedlander, The Origins of Nazi Genocide: From Euthanasia to the Final Solution. Chapel Hill (NC) London: The University of North Carolina Press, 1997. pp. 141-142.
“Material Nr 2490 | Lettland,” Agentur Karl Höffkes. [Online]. Available: https://web.archive.org/web/20240618004128/https://www.archiv-akh.de/filme/2490#1
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