こんにちは。Murderous Inkです。
今週のニュースレターです。
今年の旧暦七夕は、8月19日。中国では「七夕情人節」といって、年に三回あるバレンタインデーのひとつです(最近はもっと増えているみたいですが)。台湾映画『一秒先の彼女(2020)』の原題は『消失的情人節』、この「七夕情人節」の日が一日なくなってしまう女性からストーリーが展開する物語でした。
ウェスタン・ネオ・ノワール

『ギャングランド(Gangland, 2025)』を観ました。
舞台は現代のアメリカの架空の原住民居留地、サンダーストーン。この居留地の部族警察として雇われているのがテディ(ダイアモンド・ルー・フィリップス)、新人として配属されたのがサンドラ(Dana Namerode)、そしてこの居留地に刑期を終えて戻ってきたリッチー(エリシャ・プラット)。ベテラン警官の哲学と、新人警官のイニシエーション、そして法が守るべきコミュニティの物語というフォーミュラは、今までも散々繰り返されてきましたが、この映画もその変奏です。ただ、舞台となった居留地という背景が、そしてそれが必然的に要求するモラルの不透明さが、今までのものとは大きく異なる物語のアークを描いていきます。居留地は、ドラッグが日用品と化し、ギャングが家族の代替品となり、種族の誇りが暴力のマントラとして唱えられる《ギャングランド》として描かれています。ただ、その罪深さが何かの因果としてではなく、歴史的な地層の堆積の断面として浮かび上がってくる、そういう話です。
『ギャングランド』が、今まで描かれてきた原住民の世界、居留地の物語と、どこか違うのは、平面的な人種意識から贖罪的に話を結ぶのではなく、善悪の割り切れなさが、そのまま割り切れないまま、生々しいパズルのままで、終わってしまうところではないかと思います。こういう割り切れない映画は、まず人気が出ない。実際、IMDBの評価は笑うほど低いです。
映画の冒頭、テディとサンドラのあいだで交わされる会話が象徴的です。テディが、居留地の住人のことを「インディアン(Indians)」と呼ぶのですが、若いサンドラはそれを聞いて「先住民(indigenous)と呼ぶべきだ」と意見するのです。テディは、「俺に向かってそういったクソみたいなポリティカル・コレクトネスの講釈を垂れるな」と言い放つのです。これは一見、「時代遅れの政治的に正しくない老害警官」と「青臭いリベラル女性警官」といった定型的なキャラクター設定のように見えるのですが、そのあとに映し出されるコミュニティは、そんな議論とは全く無縁の「どこにも、何の正しさもない」世界なのです。「政治的に正しい」「司法的に正しい」「コミュニティの絆として正しい」「社会的なモラルとして正しい」「家族愛として正しい」といった繋留点がほとんどなく、最後に暴力で虚しい決着がつくだけなのです。
リッチーの母親が登場したとき、「ああ、このキャラクターが、この物語の救済者になるんだろうな」と私は少し白けかかったのですが、この母親でさえ、リッチーの一言で、無力化され、宙ぶらりんになってしまう。白人保安官たちの無能さや悪辣ぶりも中途半端で、ヴィランに格上げされることなく、あっけなく終わってしまう。こういった解決の不在を「物語の詰めがあまい」とみるか、「意図的に残された曖昧さ」とみるかで、この映画の評価は変わってくると思います。1時間44分という、近年まれにみる上映時間の短さは、極めて意図的なものなのではないでしょうか。監督のヴィンセント・グラショーと脚本のザック・モンタギューは、手の届くところにエスケープハッチを設置せず、どこまでも閉塞させていくことを選んだのだと思います。
ただ、物足りないところも多く、サウンドトラックや編集はもう少しなんとかならなかったのかしらと思いました。あの「隠されていたコミュニティの秘密」みたいなエピソードも、私は個人的にはむしろ要らなかったように思うのです。確かに、あのエピソードがないと、なんの葛藤もない、地方新聞の片隅の記事になるだけの事件の映画みたいになってしまうので、映画化にはどうしても必要だったのかもしれないのですが、だからこそ、蛇足のように思えたのです。「居留地で起きた殺人事件」、ただそれだけでよかったのではないかと思うのです。それでも思わず引き込まれるような、そういう物語をつくるのは、やはり相当な覚悟が要りますね。
かつて、フィルム・ノワールは、大半が《都市》の物語でした。それは、モラルの曖昧さが最も凄惨な形で現れるのが、近代的な、資本主義的な、《都市の暴力》だったからです。ネオ・ノワールは、それを徐々に《郊外の暴力》へと移していった。ところが21世紀に入ってから、アメリカは《田舎》、しかも隔離されたコミュニティに、暴力の舞台を移していくのです。『ノーカントリー(No Country for Old Men, 2007)』『最後の追跡(Hell or High Water, 2016)』、そして『トゥルー・ディテクティヴ(True Detective, 2014-)』ドラマシリーズの、特に『ナイト・カントリー(Night Country, 2024)』などは、野蛮と文明の境界がかすむ場所をあえて探し出しているように見えます。かつての《西部劇》の舞台とはかけ離れているのですが、アメリカの原風景という意味で《ウェスタン・ネオ・ノワール》と呼んでもよいかもしれません。
『ギャングランド』の撮影監督、ブランドン・ワデルは、その《ウェスタン・ネオ・ノワール》のエッセンスを見事に凝縮した映像を創り出しています。闇を照らし出す、パトロールカーの赤と青の回転灯のうつろな光、無人の夜のガソリンスタンドの淡い光の下の暴力、やるせないほど何もない夜の荒野の中の廃墟。↓のロカルノ映画祭のポスターは、この映画の雰囲気をよく表しています(この時は『キープ・クワイエット(Keep Quiet)』という題名でした)。この作品が初めての長編映画らしいのですが、これから注目されるべきシネマトグラファーでしょう。途中、バイソンの群れを映し出すシーンがあります。「飼いならされた野牛」という、矛盾をはらみつつも厳然と存在してしまっている一種の悲劇が、居留地という場所の《特殊性》が仮構でしかないことを思い出させてくれる、印象的な映像でした。

ニュース切り抜き
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メキシコ革命のアーカイブ映像を元にして製作された映画『La Bola (2026)』が、グアナフアト国際映画祭で上映されました。監督のアルフォンソ・コロネルによれば、この映画は、白黒フィルムにAIを用いて彩色しているとのことです。ただし、他の《AI彩色》と違い、メキシコ国立自治大学(UNAM)と共同で、カスタムAI(Adelia)を作成したのだといいます。はたして、このカスタムAIがどのようなプロセスなのかはそのうち公開されるようです。
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ワーナーと英国映画協会(BFI)がケン・ラッセルの『肉体の悪魔(The Devils, 1971)』を4K修復し、公開が予定されています。公開時は物議を醸し、大幅にカットされたものが上映されましたが、ラッセルの指示のもと、「決定版」が2004年に再構成されていました。それをもとに、映像はオリジナルのカメラネガ、サウンドトラックは35㎜プリント磁気トラックを使用して、4K版に修復されたということです。
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グレッグ・アラキの『謎めいた肌(Mysterious Skin, 2004)』も4K修復版が上映されます。西アフリカ、ブルキナファソの映画監督、イドリッサ・ウエトラオゴの『サンバ・トラオーレ(Samba Traoré, 1993)』も4K修復上映されます。1994年のインド・ヒンディー語映画『1942・愛の物語(1942: A Love Story, 1994)』は8K修復、ワーナー・アーカイブは8K修復の『ライアンの娘(Ryan’s Daughter, 1970)』を含め10作品のBlurayをリリース予定。
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ライオンズゲートが『ブレア・ウィッチ・プロジェクト(The Blair Witch Project, 1999)』を、2026年10月にBlurayとVHSでリリースします。VHS版には、2024年公開版が収録されます。VHSテープ固有の映像テクスチャが、オリジナル公開時にレンタルビデオで見た体験を呼び起こすでしょうか。
via. horrorobsessive.com -
英国映画協会(BFI)が2026年10月~12月のBluray・DVDリリースを発表。1980年代初頭の人気スカ・ポップグループ、マッドネスのドキュメンタリー『Take It or Leave It (1981)』、ピエロ・パオロ・パゾリーニの『ソドムの市(Salò, or the 120 Days of Sodom, 1975)』、日本でも大ヒットした『ブラス!(Brassed Off, 1996)』、さらに『動物農場(Animal Farm, 1954)』『Super Nature (2025)』がリリースされます。
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レバノンのドキュメンタリー映画監督、ジョセリン・サーブの1973年から1983年の映像をもとに製作された『レヴォリューショナリーズ・ネヴァー・ダイ(Revolutionaries Never Die, 2026)』がロカルノでプレミア上映されます。
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