フィルム・ノワールへの招待第二回 D.O.A.
フィルム・ノワールを紹介する試みの第2回は『D.O.A.』。解毒剤のない毒を盛られた主人公が、死ぬまでのわずかな時間で自分を殺した犯人をつきとめて復讐するという物語。単純な設定のようで、実は一筋縄ではいかないこの映画をみていこう。

Dead on Arrival

「D.O.A.」は「Dead On Arrival」の頭文字をとったもの。「到着時死亡」という意味で、救急、警察などで使われるという[❖ note]Dead On Arrival 新聞などでは1880年ごろから頻繁に使用されるようになった。「D.O.A.」または「DOA」は一般的に「Dead On Arrival」の略で、「Dead Or Alive」の略として使用されることはあまりない。

今回取り上げるのは、アメリカのフィルム・ノワール映画『都会の牙(D.O.A., 1950)』と、そのリメイクや類似作品である。主人公が知らない間に毒を盛られ、長くて1週間の命と宣告されてから、狂ったようになって自分を殺した人物を探し出すという、タイムリミット・サスペンス。オリジナル『都会の牙』を元に、オーストラリアで『カラー・ミー・デッド(Color Me Dead, 1969)』、ハリウッドで『D.O.A.(1988)』とリメイクされている。似た設定でアクション映画化された『アドレナリン(Crank, 2006)』や『ケイト(Kate, 2021)』なども取り上げる。

都会の牙(1950)

原題:D.O.A.

監督:ルドルフ・マテ、脚本:ラッセル・ルース、クラレンス・グリーン、出演:エドモンド・オブライエン、パメラ・ブリトン、ルーサー・アドラー

1950年[❖ note]『都会の牙』の公開年 『都会の牙』は多くのリファレンスで1950年公開となっている。しかし、実際には1949年12月にロサンジェルスで公開されているので、公開年は1949年である。事実、映画のオープニングの著作権表示では1949年となっており、著作権登録も1949年である。『都会の牙』がアメリカで著作権切れとなりパブリックドメインとなったのは、著作権所有者が公開、登録を1950年にしたと勘違いして、1年遅れで著作権延長を申請して却下されたからである。、ハリー・ポプキン・プロダクションズ、ユナイテッド・アーチスツ配給

白黒、1時間24分

会計士のフランク・ビゴロー(エドモンド・オブライエン)は、サンフランシスコで休暇を楽しむつもりが、そこで蛍光毒(luminous poison)を誰かに飲まされてしまう。1日、あるいは2日、長くて1週間の命と宣告されたフランクは、サンフランシスコ、そしてロサンジェルスを駆け回って、自分に毒を盛った犯人を突き止めていく。

オープニング・クレジットから、異様な雰囲気に包まれている。カメラはロサンジェルス市警のビルに入っていくフランクを背後から追い続ける。長い廊下を彼は歩いて、殺人課にたどりつく。そこで彼は警部に告げる。「殺人があった、殺されたのは私だ」と。

最初から最後まで、エドモンド・オブライエンが極端にデフォルメされたアドレナリン全開の男を演じきっている。眼を剥き、腕を硬直させ、大袈裟に走り廻り、あらゆる場所で女性を締め上げる。この映画が伝説的なフィルム・ノワールとなっているのも、素晴らしい撮影、切れの良い演出、あふれる音楽が、エドモンド・オブライエンのタガが外れた《キャンプ》な演技を最高に増幅しているからだ。脇役のなかでもサディスティックなチェスター役のネヴィル・ブランドに注目してもらいたい。

監督のルドルフ・マテは、戦前のヨーロッパ、ハリウッドでの撮影監督として有名だが[❖ note]ルドルフ・マテ 現ポーランドのクラクフ出身で、ハンガリー、ドイツ、フランスでカメラマンとして優れた作品を撮影したのち、1934年に渡米した。カール・テオドア・ドライヤーの『裁かるるジャンヌ(La Passion de Jeanne d’Arc, 1928)』、『吸血鬼(Vampyr, 1930)』などが有名。、戦後に監督に転向した。『都会の牙』はマテが監督した作品のなかでも、最もインパクトのあるものだ。撮影は、アーネスト・ラズロが担当している。エドモンド・オブライエンが死を宣告された病院を飛び出し、街中を通行人を突き飛ばしながら爆走するシーンは、サンフランシスコでゲリラ撮影されたものだ。音楽も聞き逃せない。有名なジャイヴ・ジョイントのビバップ・ジャズ・ライブのシーンはもちろん、ディミトリ・ティオムキンの異様な劇伴音楽も強烈な印象を残す。ただし、ストーリーは混み入っていてわかりにくい。


D.O.A. 1950
都会の牙(1950)
サンフランシスコやロサンジェルスでのロケーション撮影が瑞々しい

現在、日本ではAmazonで配信されている。かつては日本語字幕の廉価版DVDが販売されていたが、絶版のようで、中古市場で探すしかないようだ。YouTubeに比較的よい画像品質の日本語字幕付きバージョンがアップロードされている。海外盤でも、パブリック・ドメインの作品のため、数多く廉価版が発売されているが、注意深く選ぶ必要がある。ひどい品質のものが大量に出回っているからだ。DVDBeaverの比較を参考にするとよいだろう。ブルーレイ版もあるようだが、品質については不明である。

カラー・ミー・デッド(1969)

原題:Color Me Dead

監督:エディ・デイヴィス、脚本:ラッセル・ルース、クラレンス・グリーン、出演:トム・トライオン、キャロリン・ジョーンズ

1969年、ゴールズワージー・プロダクションズ製作

カラー、1時間37分

オーストラリアで製作されたリメイク。主演のトライオンとジョーンズはアメリカ人だが、それ以外の出演者、スタッフはオーストラリア人、$500,000と言われている製作資金調達もオーストラリアのレジナルド・ゴールズワーシーがおこなった。

この映画は、オリジナルの『都会の牙』の著作権が切れて、パブリック・ドメインに落ちたから、まったくコピーのような映画を作ることができた、という記述が散見されるが、真偽のほどは分からない。『都会の牙』が著作権延長申請のミスによりアメリカでパブリック・ドメインになるのは、1978年のことである。アメリカで公開されたのは1969年8月、まだ著作権が切れる前である。

オリジナル版の欠点だったストーリーのわかりにくさを解消するために、事件の核心となるイリジウムの窃盗、転売、証拠作りなどが描かれる。サンフランシスコのビジネスマンたちは、サーファーズ・パラダイスの旅行者に、ジャイヴジョイントは、ストリップ・バーに変更されている。シドニーを中心に各地でロケーション撮影が行なわれたようだ。

公開時から評判は芳しくなく、主演のトライオンはこの映画を最後に俳優業を引退、作家に転向して成功した。ジョーンズもTV番組「アダムズ・ファミリー」以降、苦境に陥っていたキャリアを再生できなかった。全体的に陰鬱なトーンに包まれているうえに、シドニーやゴールドコーストのシーンが冴えないロケーション撮影のせいで気の滅入るものになっている。


Color Me Dead
カラー・ミー・デッド(1969)
オーストラリアを舞台とした、1959年版のコピー。

私の知るかぎり、日本語字幕版は見当たらない。海外盤もほぼないに等しく、正規版のディスクなどはなさそうだ。TV放映からの録画であろう動画がネット上にあるので、興味のある方はそちらを見てほしい。

D.O.A. (1988)

原題:D.O.A.

監督:ロッキー・モートン、アナベル・ヤンケル、脚本:チャールズ・エドワード・ポーグ、出演:デニス・クエイド、メグ・ライアン

1988年、タッチストーン・ピクチャーズ

カラー、1時間36分

のちの『スパイダーマン』フランチャイズで有名なローラ・ジスキンとイアン・サンダーがプロデュースしたリメイク。監督のロッキー・モートンとアナベル・ヤンケルは、1980年代にミュージック・ビデオ、TVコマーシャルの製作、そして「マックス・ヘッドルーム」のTV番組で注目を浴びたコンビで、『D.O.A.』は彼らの初めての劇場映画監督作である。問題作『スーパーマリオ 魔界帝国の女神(Super Mario Bros., 1993)』の監督コンビとして後世に名を残している。

チャールズ・エドワード・ポーグによって大幅にストーリーが書きかえられ、元のアイディア以外はほとんど残っていない。映画の舞台はサンフランシスコ、ロサンジェルスの西海岸から、テキサス州オースティンの大学キャンパスに移された。大学教授のデクスター(デニス・クエイド)が、何者かによって毒を盛られただけでなく、まわりで次々に殺人が起きていくなかで、事件の真相を解明していくという話になっている。シャーロット・ランプリング、メグ・ライアンらが出演している。

この作品が1950年版のオリジナルに劣っているとか、80年代の価値観が鑑賞に堪えられない、といった意見はあるかもしれない。ただ、視覚表現には注目してもらいたい。犯人の独白シーンのカメラワークは、『冷血(In Cold Blood, 1967)』のロバート・ブレイクの懴悔シーンを模倣したものだろう。撮影監督のユーリ―・ネイマンは、前作『リキッド・スカイ(Liquid Sky, 1982)』でニューヨークを全く新しい視点で撮影して注目を集めたが、『D.O.A.』ではハリウッドの「ネオ・ノワール」映像の先駆者として絶賛された。ローキーというだけでなく、全体的に薄い色調で、対象に接近して傾斜した画角を多用しているのが特徴的だ。


D.O.A. 1988
D.O.A.(1988)
ハリウッド版リメイクは1980年代のネオ・ノワール的視覚感性の見本となった。© 1999 Touchstone Pictures

日本語字幕版はVHSで発売されたのみ。配信、ディスクなどはまだないようだ。これは海外盤ブルーレイでは MillCreekとKinoが発売していたが、どちらも中古市場でしか入手できないようだ。

アドレナリン(2006)

原題:Crank

監督・脚本:マーク・ネヴェルダイン、ブライアン・テイラー、出演: ジェイソン・ステイサム、エイミー・スマート

2006年、ライオンズゲート配給

カラー、1時間27分

『トランスポーター(The Transporter, 2002)』で一躍スターとなったジェイソン・ステイサム主演のアクション・コメディ。殺し屋のチェリオス(ジェイソン・ステイサム)はマフィアに「ペキン・カクテル」という毒を盛られる。これは体内でアドレナリン分泌を抑制して心臓を停止させ、死に至らしめるというもので、チェリオスは生き続けるためにありとあらゆる方法でアドレナリンを出し続けなければならない。彼は、自分を「殺した」マフィアを探し出して復讐するために、ロサンジェルスを爆走する。

アクションが止まることなく、ひたすら映像が次から次へと畳みかけ、題名通り映像から「アドレナリン」が大量に分泌され続ける映画である。監督のネヴェルダインとテイラーのチームは、「これはADD(Attention Deficit Disorder, 注意欠陥障害)の映画だ」と半分冗談のように言っている。

極めてバイオレントで常に躁状態のカメラワークと編集で「ノワール抜きの『都会の牙』とバス抜きの『スピード』の中間(San Francisco Examiner)」のような作品と呼ばれ、続編『アドレナリン:ハイ・ボルテージ(Crank: High Voltage, 2009)』とともに、一種の「おバカ映画」的な扱いを受けることもある。だが、この映画の撮影思想は、当時としてはかなり画期的だった。まだフィルムによるアナログ撮影・製作が支配的だったころ[❖ note]映画製作・配給のデジタル化 デジタル映画フォーマットの標準規格であるDCI規格が制定されたのが2005年、ユニバーサルの『インサイド・マン(Inside Man, 2006)』がDCPでわずかながらも配給された、実質的に最初の作品と言われている。2000年代には、映画製作のほうはフィルム撮影が主流で、全編デジタルで撮影されたのは全体の10%にも満たない。『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃(2006)』が全編デジタル撮影で行われ、話題になっていた年である。に、『アドレナリン』およびその続編は全編デジタルカメラで撮影されている。また、同時に監督2人とカメラマンで複数のカメラを操作してアクションを撮影し、監督のネヴェルダインはローラーブレードで撮影したという。暴力のスピードに近接する昇圧剤のようなレンズが、この映画の主人公だと言ってもよいかもしれない。

そういった撮影思想を必要としたのは、「主人公は常にアドレナリンを出し続けていなければならない」という設定そのものである。緩急をつけて展開を組み立てていく従来のプロット構造ではなく、止まることのないアクションと興奮状態にある精神状態をひたすら描き続ける必要があった。



アドレナリン(2006)
© 2006 Lionsgate Films

『アドレナリン』は、2026年2月現在ではU-NEXTで配信されている。国内の日本語字幕版はDVDが発売されていたが在庫がないようだ。海外盤では4Kブルーレイブルーレイが発売されている。

ケイト(2021)

原題:Kate

監督:セドリック・ニコラス=トロイアン、脚本:ウマイア・アレム、出演: メアリー・エリザベス・ウィンステッド、ウディ・ハレルソン

2021年、Netflix(配信)

カラー、1時間46分

これも『アドレナリン』と同じく、殺し屋が毒を盛られて死に至るまでのあいだに、復讐を成し遂げるアクション映画である。舞台はNetflix的日本。殺し屋のケイト(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)が、ヤクザの暗殺に関わったために、放射性物質を飲まされてしまう。ケイトは、暗殺した男の娘アニ(ミク・マーティノー)を人質にしてヤクザの中枢に乗り込み、ボスの木嶋(國村隼)との面会を要求する。

『ケイト』は、『都会の牙』と同じく、主人公が自分の殺人者を突き止めていく物語である。だが、この映画の主眼はフーダニット的な謎解きではなく、ウィンステッドが圧倒的な殺陣を繰り広げて、次から次へと湧いてくる大勢のヤクザを倒していくところにある。Netflixは、プロフェッショナルの女性殺し屋、ヤクザ、サイバーパンク的日本といった要素を好んで映画化する傾向があるが、これはそのなかの1本。

『ケイト』で毒物として使用されている放射性物質は「ポロニウム204」。ここで紹介している他の映画に登場する毒物は実在しないが、「ポロニウム204」は実在する。しかし、半減期が3.5時間と短く、あまり実用的ではない。一般的に放射性物質毒として有名なのは「ポロニウム210」で半減期は約138日。アレクサンドル・リトビネンコの暗殺に使われた。


Kate
ケイト(2021)
© 2021 Netflix Inc.

『ケイト』はNetflixで配信中。

その他

この他にも『デッド・オン・アライヴァル(Dead On Arrival, 2013)』『デッド・オン・アライヴァル(Dead On Arrival, 2017)』『D.O.A.(2022)』などがリメイクとして挙げられる。どれもオリジナルの『都会の牙』を低予算で再現しようとした作品で、ここではあえて取り上げる必要性が感じられなかった。

かつて、1950年のオリジナル『都会の牙』はワイマール期ドイツの映画『人間廃業(Der Mann, der seinen Mörder sucht, 1931)[❖ note]『人間廃業』 この映画の現存しているフィルムは一部が欠損、行方不明になっている。公開当時は97分程度あったと思われるが、現存フィルムは50分程度である。』のリメイクだと言われたことがある。しかし、ロバート・シオドマク監督、ビリー・ワイルダー脚本のこの映画は、『都会の牙』とは決定的に設定が異なっている。『人間廃業』は、運に見放されたと思った主人公が殺し屋を雇って、自分を殺してもらおうとするが、途中で気変わりして、やはり死にたくないと思うようになるという話である。このストーリーもハリウッドで『ザ・ホイッスラー(The Whistler, 1944)』、イギリスで『殺しの代償(Five Days, 1954)』、戦後ドイツで『Man lebt nur einmal (1952)』、さらにはアリ・カウリスマキ監督の『コントラクト・キラー(I Hired a Contract Killer, 1990)』など多くの派生作品を生んでいる。


A Man In Search of His Own Murderer 1931
『人間廃業(1931)』
ロバート・シオドマク監督、ビリー・ワイルダー脚本

I Hired A Contract Killer
『コントラクト・キラー(1990)』
アリ・カウリスマキ監督

ノート

映像

『都会の牙』のストーリーのアイディアが、ワイマール期のドイツ映画にあるのではないかという示唆について上に述べたが、映像作法や技法は、監督のルドルフ・マテがカメラマンとして活躍した戦前期ヨーロッパの映像文化と密接な関係を見出せる。その源流を探るのも面白いだろう1) 。また、1988年版の『D.O.A.』[❖ note]『D.O.A.』の映像 主人公のデクスターが警察で聴取されているオープニングとエンディングは白黒で、事件のストーリーをフラッシュバックで語る中間部はカラーという構成も、当時としては映像と物語表現の新しい手法のひとつだった。ロシア出身の撮影監督、ユーリ・ネイマンは「デクスターは体内の毒によって悪化していくが、それに合わせて《健康だった》シネマトグラフィーも悪化していく」と述べている。は、ハリウッドがネオ・ノワールに挑戦していくなかでの転換点の一つとして位置付けられる作品だ2) 。シネマトグラフィーの語彙としての《ネオ・ノワール》を考えるうえで、非常に重要な位置を占めているので、他の同時期の作品と比較してみてもらいたい3) 。ネヴェルダイン/テイラーの『アドレナリン』『アドレナリン:ハイ・ボルテージ』は、デジタル・シネマの黎明期に、カメラの機動性の限界を試行錯誤した画期的な映像である。安価なカムコーダーを破損前提で何台も同時に使用する、といった先駆的な映像撮影が行なわれた。そのスタイルは再評価されてもよいのではないか4) 。最も新しいリメイクのひとつ『ケイト』は、テーマ、ストーリー展開、キャラクター設計、プロダクション・デザイン、どれをとっても何かの焼き直しか、模造品の寄せ集めパスティッチョのように感じられ、凡庸な印象をぬぐえない。ただ、映像の特筆すべき特徴として、SonyのVENICE[❖ note]Sony VENICE ISO10000相当の感度をもつ、この最先端の撮影システムは、夜間(あるいはそれを模した空間)をより《リアリスティック》に写すことを難なく達成できる。で撮影されており、いわゆる環境光だけで撮影したということは挙げておきたい。

このように『D.O.A.』の派生作品は、映像の画期的なターニング・ポイントに常に位置する作品群だ。これは(夜の)都市空間で、狂ったように走り回る人間のアクションを、どのように映像にするか、という問いが基盤にあるからだろう。畢竟、フィルムやセンサーの感度が重要なファクターとなり、アクションを撮る手法が独創的に開発されたのだ。

音楽

『都会の牙』から続く『D.O.A.』の物語は、熱病にうなされたようなサウンドトラックにも注目したい。

どのバージョンでもライブハウス、クラブでのライブ演奏シーンが挿入されており、それらを比較してみると実に面白い。『都会の牙』では、ヴォン・ストリーターとウィグ・ホッパーズ(Von Streeter and His Wig Hoppers)のライブ演奏シーンが強烈な印象を残す[❖ note]『都会の牙』のライブ演奏 当時、一部のヒップスターたちのあいだで圧倒的な支持を得ていたビバップ、あるいはアメリカで萌芽しつつあったロックンロールの源流の貴重な映像だと言われるが、音楽自体は、映像とは別に収録されたトーマス・マクスウェル・デイヴィスの演奏が使用された。撮影は本編収録後に別撮りだったため、本編に挿入するかたちで編集された。それが上記のようなモンタージュになったのだろう。。『カラー・ミー・デッド』の《クラブ》はストリップ・ショーである。公開当時のいわゆる《モンド映画》の流行を垣間見るようだ。1988年版の『D.O.A.』では、アメリカのインディー・バンド、ティムバック3(Timbuk 3)[❖ note]Timbuk3 映画の舞台、テキサス州オースティンが活動拠点だった彼らは、イギリスのI.R.S.レーベルに発見されて、アルバムをリリースした。が登場する。オリジナル『都会の牙』のジャズ・クラブのような熱ではなく、80年代特有の気怠くカラフルなクールさが、割れたガラスをモチーフにしたセットデザインと非常によくマッチしている。『アドレナリン』シリーズでは、続編の『アドレナリン:ハイ・ボルテージ』の中盤で、ストリップ・クラブのシーンが登場する。サウンドトラック自体はビリー・スクワイアとREOスピードワゴンという、白人向けストリップ・クラブを想起させるジャンル音楽に過ぎないが、モンタージュが広角レンズによる歪み、異様なアングル、高いサチュレーションの静止画を組み合わせた、非常にエキセントリックなものになっている。『ケイト』に登場するクラブのシーンでは、BAND-MAIDがライブバンドで演奏しているが、これは非常に明快な《日本》の表象として利用されている。こうしてみていくと、『都市の牙』とそのリメイクは、舞台となる都市に固有な音楽を、無慈悲で恣意的な暴力の風景のサウンドトラックとして求めてきたことがよくわかる。

ひとつ注目しておきたいのは、『都会の牙』のディミトリ・ティオムキンの音楽だ。重々しいマーチに、この映画を貫く甘酸っぱいメロディを無理矢理合体させた、冒頭の「葬送行進曲」から、ギャングたちに追われてバスに逃げ込むまでの「バレエ音楽のような」ピアノとオーケストラの曲、そしてエンドクレジットのヤケクソなワグネリアン・アレンジまで、低予算映画にもかかわらず様々なアイディアを突っ込んでいて実に面白い。

演出

『都会の牙』以降、一連のリメイクや関連作品は、劇映画演出とは別分野のプロフェッショナルが監督を手掛けている場合が多い。『都会の牙』のルドルフ・マテは撮影監督出身、1988年版の『D.O.A.』のロッキー・モートンとアナベル・ヤンケル監督は、ミュージック・ビデオやコマーシャル分野のクリエイター、『アドレナリン』シリーズのマーク・ネヴェルダインとブライアン・テイラーはスタント出身、『ケイト』のセドリック・ニコラス=トロイアンはSFXアーティストである。この映画のテーマが、視覚的な刺激を要求するのだろう。

『都会の牙』の魅力は、エドモンド・オブライエンの奇矯で派手な演技にある。彼のリアクションはとにかく派手で、眼を剥き、ドタバタと手足を動かし、ひたすら走り続ける。しかも、若干小さいのではないかというスーツに体の動きを制限され、あえぎながら走る、決してスマートではない、その演技がこの映画にまったく似合っている。

オリジナルのアドレナリン過多の映像を、忠実に受け継いでいるのは『アドレナリン』シリーズだと私は思う。ジェイソン・ステイサムがひたすら「アドレナリンを出し続けるために」「充電し続けるために」走り回っているのは、残された時間にすべての「生」を使い切るという、この物語のテーマを見事に表現している。ただ、ステイサムはこんなヒドい役柄を演じていても、アクションスターとしてのスマートさを備えている。『都会の牙』のエドモンド・オブライエンが、70年以上経っても一部でカルト的な人気を誇っているのは、そのスマートささえもない、生身のエキセントリックな存在が、じたばたする様子があまりに衝撃的だからだろう。

脚注

1)^ワイマール期からの継承 特にオーガスト・ジェニーナ監督のもとでマテがカメラを担当した『ミス・ヨーロッパ(Prix de beauté/Miss Europe, 1930)』は、参照点として重要だと思われる。これは、ロケーション撮影の即興性や機動性の高いカメラワークが特徴的な映画だ。また、『都会の牙』のフィッシャーマンズ・ワーフのクラブでのビバップ・ジャズ演奏のモンタージュは、ハンス・シュワルツ監督の『Einbrecher (1930)』のジャズ・クラブのシーンのモンタージュを彷彿とさせる。

ミス・ヨーロッパ(Miss Europe, 1930)
戦前ベルリンでのロケーション撮影。撮影監督:ルドルフ・マテ
Einbrecher (1930)
ジャズ・クラブのモンタージュ。編集:ヴィリー・ツェイン
都会の牙(D.O.A., 1950)
ジャズ・クラブのモンタージュ。編集:アーサー・H・ネーデル

2)^  80年代のネオ・ノワール 1970年代に比べて、80年代以降のネオ・ノワールがスタイルを大きく変える最大の要因として挙げられるのが、フィルム・ストックの高感度化である。きっかけは1980年に富士フイルムが導入した「A 250T Type 8518」というネガフィルムである。これは、それまで標準だったASA 100の壁を打ち破って、粒状性を維持しつつ、ASA 250という高感度を達成したものだった。この製品の登場によって、夜間の撮影のラチチュードが広がった。富士フイルムのネガストックは、ハリウッドでの使用は限定的なものだったが、コダックと富士フイルムのあいだで、ASA競争が始まる。翌年にはコダックもASA 250の5293を市場導入、83年にはASA 400の5294を導入した。これに応えるように、富士フイルムは84年にASA 500の8514を導入した。このような高感度ネガフィルムの登場は、それまで技術的な理由で制約があった《夜》の表現、特に色彩設計が大きくかわるきっかけとなった。1988年版の『D.O.A.』は主にコダックの5294を夜間の撮影に使用しているという。

3)^ 『D.O.A.』のカラー 『D.O.A. (1988)』のシネマトグラフィーをどのように評価するかについては慎重になる必要がある。この作品のブルーレイは海外盤でMillCreekとKinoが販売していたが、どちらもカラーグレーディングがおかしいように思われるのだ。DVDBeaverがスクリーンショットを掲載しているが、カラーパレットが全体的に肌色、ピンクにシフトしすぎている。2010年代、公開から20年以上経ってからのデジタル化、ディスク化の際に、どのような手続きがあったのかは分からない。ブルーレイの色味は、撮影監督や監督による指示なのかもしれない。もしそうだとすると、この色彩設計は、1980年代から90年代にかけてのネオ・ノワール、例えば、マイケル・マンの『刑事グラハム/凍りついた欲望(Manhunter, 1984)』、デヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット(Blue Velvet, 1986)』、アラン・パーカーの『エンジェル・ハート(Angel Heart, 1987)』、アベル・フェラーラの『キング・オブ・ニューヨーク(King of New York, 1990)』などの色彩設計と比べて、かなり際立ったものになる。寒色を基調色にして、原色を動機表現として大胆に配置するというスタイルが主流だった時代に、マゼンタ系を際立たせるような設計になっているからだ。これでは、作品の解釈が本当に困難になってしまう。公開当時は実際どのような色彩設計だったのかという問いに答えるのは、時とともに不可能になりつつある。公開当時の予告編プリントをスキャンしたと思われる動画がアップロードされているが、色彩を参考にするにはあまりに劣化しているのがわかるだろう。同様に公開当時の上映用プリントがあったとしても、程度の差はあれ、ほぼ間違いなく退色、変色を起こしていて参照点としては信頼できない。すなわち、映像の色彩設計の批評、評価は、かなり困難になってきている。

4)^『アドレナリン』シリーズの撮影技術 『アドレナリン』ではCanon XL-2Sony CineAlta HDC-F950、『アドレナリン:ハイ・ボルテージ』では、Canon XH A1VIXIA HF10が使用されていたが、撮影の際にはこれらのカメラが複数台、多い場合には10台以上も同時に使用された。非常に激しいアクションをともなう撮影のため、VIXIAのようにコンシューマー用の安価なカメラを破損前提で使用していたという。2006年には、マイケル・マン監督の『マイアミ・バイス(2006)』やメル・ギブソン監督の『アポカリプト(Apocalypt, 2006)』などもデジタル撮影で製作されていたが、いずれも高価なシステム(『マイアミ・バイス』はトムソン・ヴァイパー、『アポカリプト』はパナヴィジョン・ジェネシス)を導入しての製作だ。それに比べ、特に『アドレナリン:ハイ・ボルテージ』では、シャッター・スピードも2000分の1秒に設定してモーション・ブラーを抑え、広角/望遠を巧みに使い分けつつ、10台以上のHF10を同時に回すなど、コンシューマー用カメラを駆使して、アクションの即興性を優先した映像を創り出した。アクション映画におけるデジタルカメラの機動性というと、POVショットの多用や、ワンカットの長回しが注目されがちだが、デジタル撮影の多様な可能性を追究した試行錯誤の通過点として『アドレナリン』『アドレナリン:ハイ・ボルテージ』のシネマトグラフィーは再評価する必要があるのではないだろうか。


Crank High Voltage
『アドレナリン:ハイ・ボルテージ』の撮影風景
Canon HF-10を複数台固定したリグを手に持ち、ローラーブレードで滑りながら、撮影するネヴェルダイン監督。American Cinematographer, April 2009, p.24

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