Lindsley Parsons
リンズレー・パーソンズ(Lindsley Parsons, 1905-1992)はモノグラム・ピクチャーズ、アライド・アーチスツで数多くの低予算映画を製作したプロデューサーである。IMDBのタグによれば、パーソンズは全部で10本の《Film Noir》の製作に関わっていて、4番目に本数の多いプロデューサーである。
| 製作年 | タイトル | 原題 | 配給 |
| 1942 | ─ | Man from Headquarters | Monogram Pictures |
| 1942 | ─ | Criminal Investigator | Monogram Pictures |
| 1946 | ─ | Fear | Monogram Pictures |
| 1946 | ─ | Below the Deadline | Monogram Pictures |
| 1954 | ─ | Loophole | Allied Artists |
| 1954 | ─ | Cry Vengeance | Allied Artists |
| 1955 | ─ | Fingerman | Allied Artists |
| 1956 | ─ | The Come On | Allied Artists |
| 1956 | ─ | Strange Intruder | Allied Artists |
| 1957 | ─ | Portland Expose | Allied Artists |
トレム・カー(Trem Carr, 1891-1946)の製作会社で広報担当としてキャリアを始める。カーがモノグラム・ピクチャーズを設立した際には、そのままモノグラムで広報、脚本などを担当。「中年になってもポヴァティ・ロウにいるようでは、そこで年取るしかない」という寸言があるが、パーソンズは生涯モノグラム、そしてその後継であるアライド・アーチスツでプロデューサーをつとめた。
ジョン・ウェインとは、大学生の頃からのサーフィン仲間で、生涯を通じて交流があった [1 p.39]。ジョン・ウェインをスターにしたのはジョン・フォードかもしれないが、ウェインが最も辛かった時期に彼の俳優業を支えたのがパーソンズだった。
リンズレー・パーソンズが製作した《Film Noir》のなかで注目したいのは『Loophole (1954)』『Cry Vengeance (1954)』の二作品だ。
『Loophole』はハロルド・D・シュスター監督、バリー・サリヴァン主演の《犯人にされた無実の男》の物語である。このタイプの映画として、1950年代のハリウッド映画のなかでは、アルフレッド・ヒッチコックの『間違えられた男(The Wrong Man, 1956)』が有名だが、『Loophole』は公開が2年早いというだけでなく、扱っている題材がホワイトカラーの犯罪(横領)という点が斬新だ。「レ・ミゼラブル」を下敷きに、舞台を冷戦時代のロサンジェルスに移して、濡れ衣の苦しみだけでなく、執念深い保険調査官の嫌がらせを受け続ける主人公の受難を描く作品だ。
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Loophole 1954
ガス・スラヴァン(チャールズ・マッグロー、車に寄りかかっている)の尾行をまくドノヴァン(バリー・サラヴァン、遠景)とそれを見守る妻(ドロシー・マローン、手前運転席)
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主人公のマイク・ドノヴァンを演じたバリー・サリヴァンは《嵌められた男》の無力感、諦観、苦痛、そして静かな復讐心のようなものを見事に体現している。例えば、ヘンリー・フォンダであれば、喋るときにさえ口の動きにシャープさがあり、たとえ濡れ衣を着せられていても、底に《強靭な意思》を感じさせる。あるいは、犯していない殺人で死刑判決を受けるエリシャ・クック・ジュニアであれば、その眼差しが世界に《嘆願》し、声は地獄に落とされた少年のように打ち震える。しかし、サリヴァンのモゴモゴとした発声は、ホワイトカラー特有の薄弱で力に欠けた意思を表現するのにぴったりだ。むしろブルーカラーになってからの飄然とした身のこなしや、諦めを溜めた眼差しは、驚くほど新鮮である。さらに秀逸なのは、彼を執拗に追い続ける、ハリウッドのジャヴェール警部ことガス・スラヴァンを演じた、チャールズ・マッグローだ。その執念の異様さが、途中は見るに堪えない醜悪さでうんざりするにもかかわらず、最後には荒唐無稽になって、コメディとしてエンドマークを迎えるところも含めて、見事な演技、そして配役だ。フォーミュラ通りのメロドラマにおいてさえ、サリヴァンとマッグローという二人の俳優を的確に抜擢したという点で、パーソンズがプロデューサーとしていかに手練れであったか、ということをよく示しているのではないだろうか。
当時の業界誌でも『Loophole』は高い評価を得ている。
(この物語の中で起きる)出来事は、特に驚くような内容のものではないが、監督のハロルド・シュスターは、それでも最大限の興奮を引き出すのに成功している。映画は丁寧に編集され、主要人物も脇役も演技が良い。
Motion Picture Daily
プロデューサーのリンズレー・パーソンズは、このプロットを演じるのに十分な力を持った役者たちを揃えた。
Variety
同じ1954年に公開された『Cry Vengeance』も、パーソンズのプロデューサーとしての的確な判断が、ともすれば陳腐で退屈になりがちな《復讐もの》に新しい視野を与え、記憶に残る映像を生んだ。アラスカという「アメリカが購入した州」 ──《アメリカの原風景》でもなければ、《フロンティア》でもない、茫漠とした土地── を背景にしつつ、あまりにもアメリカ/ハリウッドらしい犯罪の物語が展開される。この映画でもっとも印象に残るのが、スキップ・ホーメイアー[❖ note]❖Skip Homeier (1930-2017) 子役時代から《悪役》で名を馳せた俳優。ホーメイアーが12歳の時にブロードウェイの舞台で出演、翌年ハリウッドでも映画化され出演した『Tommorow, the World! (1944)』では「アメリカの叔父に引き取られたヒトラー・ユーゲント」という役柄で、その悪辣な演技が話題を呼んだ。成人してからも(特に西部劇で)悪役を演じることが多かった。TVシリーズ『宇宙大作戦』でもナチス風の異星人やヒッピー風の宇宙漂流者といった役を演じている。演じる殺し屋のロキシーだ。単なる犯罪組織のプロの殺し屋というだけではない。清潔な身なり、ファッションへのこだわり(どんな時も蝶ネクタイを忘れない)、綺麗に整えられたプラチナブロンドの髪、そしてサディスティックな暴力に快楽を見出すサイコパス。プラチナ・ブロンドのサイコパス、身なりに異様に執着する殺し屋、というキャラクターは今でこそ珍しくないが、このロキシーこそ、その源流に位置するといってもよいだろう。
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Cry Vengeance (1954)
サディスティックな殺し屋、ロキシー(スキップ・ホーメイアー)
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リンズレー・パーソンズ製作のこの映画はもともと「ケチカン」という題名で、アラスカ州のケチカンで撮影されていた。今のこの題名のほうがよっぽどいい。とにかく、一流の、手堅い、銃弾のように真っ直ぐなメロドラマだ。どのキャラクターも極めて明確に描かれているが、そのなかでもマーク・スティーブンス演じる主役は妥協することなく演じられている。マーク・スティーブンスは、この映画を同様の明晰さと容赦なさをもって監督している。
Motion Picture Daily
アライド・アーチスツはこの映画から良い収入を期待できるだろう。荒っぽいメロドラマが好きな向きには結構良い出来の映画だ。
Variety
パーソンズのフィルモグラフィはまだ探索中である。その他にも『Fingerman (1955)』『Strange Intruder (1956)』など気になる作品があるので、今後見ていきたい。
Rudolph Flothow
製作した映画のうち、9本の映画にIMDBでタグ《Film Noir》がつけられているプロデューサーは5人いる。そのなかのひとり、ルドルフ・C・フロソー(Rudolph C. Flothow, 1895-1971)は、サム・カッツマンと同じく、コロンビアの専属プロデューサーだった。しかし、フロソーが活躍したのは1940年代である。そしてリストを検証すると、9本中8本が人気シリーズ「ザ・ホイッスラー(The Whistler)」の連作であることが分かる。
| 製作年 | タイトル | 原題 | 配給 |
| 1944 | ─ | The Whistler | Columbia Pictures |
| 1944 | ─ | The Mark of the Whistler | Columbia Pictures |
| 1945 | ─ | Voice of the Whistler | Columbia Pictures |
| 1946 | ─ | Mysterious Intruder | Columbia Pictures |
| 1946 | ─ | The Secret of the Whistler | Columbia Pictures |
| 1947 | ─ | The Thirteenth Hour | Columbia Pictures |
| 1947 | ─ | Key Witness | Columbia Pictures |
| 1948 | ─ | The Return of the Whistler | Columbia Pictures |
| 1949 | ─ | Mary Ryan, Detective | Columbia Pictures |
(「ザ・ホイッスラー」の)シリーズ全作品はすべて古典的フィルム・ノワールの領域にすっぽり入るが、ホラーとしての側面は超常的なタイトル・キャラクターの存在に限られている。
Paul Meehan [2 p.81]
「ザ・ホイッスラー」シリーズ[❖ note]❖ザ・ホイッスラー このシリーズはいわゆる一話完結型で、導入部に登場する謎の「ザ・ホイッスラー」以外、共通する登場人物などはない。どの物語もリチャード・ディックス演じる主人公が運命のあやに翻弄され、生死を分ける犯罪や事件に巻き込まれていく話である。を、《Film Noir》として捉えるかどうかは議論の余地があると思う。確かにティーンエイジャー向けと言ってもよいような、仰々しい設定とナレーション、書割的なキャラクターと不必要に混み入ったプロット、リチャード・ディックス(Richard Dix, 1893-1949)の重苦しい演技とほとんど予算のないセット ── シリーズ中どの作品も神経症的な執着や歪曲した欲望といった要素は欠けていて、ノワールとしてよりも、安物のサスペンス映画と見られても仕方がないかもしれない。
低予算のフィルム・ノワールを取りあげる批評や、スタジオのBユニットについて論じた著作などをみても「ザ・ホイッスラー」シリーズが取り上げられることはほとんどない。例えばSpencer Selbyの「Dark City: The Film Noir」では「Noir “B” Film Series」として「ザ・ホイッスラー」が挙げられているが、それ以上の言及はない [3 p.203]。比較的最近(と言っても10年以上前だが)出版された「A Companion to Film Noir」の中の一章、「Film Noir and Studio Production Practices」はハリウッド・スタジオとフィルム・ノワールの製作構造に言及した数少ない論考の一つであるが、そこでも、コロンビアが二本立ての添え物として製作したフィルム・ノワールとして『Night Editor (1946)』が挙げられるのみで、「ザ・ホイッスラー」のシリーズには全く触れられていない[4]。Alain SilverとElizabeth Ward監修の「Film Noir: An Encyclopedic Reference to the American Style」でも「ザ・ホイッスラー」シリーズはエントリーがない。総計745本の映画をとりあげるという、フィルム・ノワール研究本としては圧倒的な掲載本数を誇るMichael F. Keaneyの「Film Noir Guide」[5]やコロンビア・ピクチャーズのフィルム・ノワールを論じる『Columbia Noir』[6]などになってはじめて、「ザ・ホイッスラー」が登場する。
これは《正史》として受け入れられてきた映画史の見方からすれば、当然の帰結かもしれない。有名な映画作家も関わっていないし、メインストリームの批評家たちが熱狂したことも一度もない。
では、「ザ・ホイッスラー」は《Film Noir》のカテゴリに入れてしまってはいけないのだろうか?私は2つの点から「ザ・ホイッスラー」シリーズは検討されるべきだと思う。ひとつは、《運命》が支配する世界観だ。シリーズ名にもなっている《ザ・ホイッスラー》とは口笛を吹きながら現れる正体不明の影であり、その影とともに語られるナレーションが、ラジオシリーズから続く、この物語のトレードマークとなっている。
I am The Whistler. And I know many things, for I walk by night. I know many strange tales, many secrets hidden in the hearts of men and women who have stepped into the shadows. Yes, I KNOW the nameless terrors of which they dare not speak.
The Whistler
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The Whistler (1944)
《口笛を吹く男》すなわち《運命》が窓からのぞき込む
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この「影に踏み込んでしまった男や女の心に隠された、奇妙な物語」こそ、「運命に翻弄される人間の物語」である。ただし、「ザ・ホイッスラー」の扱う《運命》は、大袈裟なメロドラマであり、闇の銃声や崖から落ちる車の音によって形作られるもので、日常の襞や声の不協和音から生まれる微妙な変化ではない。エドガー・G・ウルマーの『恐怖のまわり道(The Detour, 1946)』の《運命》のような、不条理と愚さが混合した《宿命》である。
運命の不条理さを描いているという点において、「ザ・ホイッスラー」シリーズは、他のシリーズ映画(例えばMGMの「影なき男」シリーズ、あるいは20世紀フォックス/モノグラムの「チャーリー・チャン」シリーズ)と比べて、1940年代に流行した心理劇の体裁に極めて近い。シリーズ第一作目の『The Whistler (1944)』では、生きる希望を失った男がプロの殺し屋を雇って自分を殺してもらおうとする話である。この荒唐無稽な設定のもと、主人公が追い詰められていく様子だけでなく、殺し屋のほうも《殺し》に執着して軌道を逸脱していくさまが描かれる。ただ、その叙述があくまでも三人称的で、たとえば『恐怖のまわり道』のような主観的な没入感には欠けている。おそらく《Film Noir》を考えるときに、この主観的な没入感は極めて重要なのではないだろうか。
もうひとつ検討すべき点は、ローキーに支配された特徴的なビジュアルだ。このシリーズは、ほぼ全編がコロンビアのバックロットで撮影されており、同時代のハリウッド映画と比べて、ロケーション撮影のシーンは比較的少ない。セット撮影はどうしても製作費の少なさが露呈してしまうが、「ザ・ホイッスラー」シリーズも例外ではない。そのビジュアルの貧相さを隠すための常套手段として、そしてミステリーの駆動力として、ローキー撮影が各要所に使われている。特に瞠目するようなカメラワークではないものの、数ある低予算のコロンビア映画のなかでは、印象に残るイメージが多いシリーズである。
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The Mark of the Whistler (1944)
暗闇の中に光る眼
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「ホイッスラー」シリーズは全部で8作、1作あたり$70,000程度の超低予算で製作されていた。元は人気ラジオドラマシリーズなので集客力もあり、二本立ての添え物としては最適だった。そのうち4作をウィリアム・キャッスルが監督している。ウィリアム・キャッスルは1960年代に見世物的要素が強い低予算ホラー映画で一世を風靡したが、彼の映画作りの源流はコロンビアでの恵まれない下積み期間にある。「ホイッスラー」は、キャッスル以外にもルー・ランダースやジョージ・シャーマンといった、コロンビア・ピクチャーズの「何でも屋」が監督を担当している。また、2作目の『The Mark of the Whistler (1944)』とシリーズ最終作の『The Return of the Whistler (1948)』は、コーネル・ウールリッチの小説が原作である。主演のリチャード・ディックスは7作目の『The Thirteenth Hour (1947)』の撮影後に体調を崩して引退してしまった。しかし、このシリーズはディックスの代表作だと言ってもよいのではないだろうか。たとえ物語の最後に生き延びることができたとしても、どこか憂いを抱いたままの彼の表情は、平板な物語に深みがあると錯覚させるに十分な説得力があった。
ルドルフ・C・フロソーは、ドイツのフランクフルト生まれだが1914年、18歳の時にアメリカに移住した。サイレント期からパラマウント、フォックスなどを渡り歩いて配給の仕事をしていたが、トーキーに移行するころにアルバート・ロジェル(Albert Rogell, 1901-1988; シド・ロジェルの叔父)と映画製作会社を設立して、プロデューサーに転身した[7 p.352]。彼がプロデューサーとして軌道に乗り始めたのは1943年にコロンビアに移籍してからである[8]。『バットマン(Batman, 1943)』『ファントム(The Phantom, 1943)』の連続活劇、「クライム・ドクター(Crime Doctor, 1943-1949)」シリーズ(10作中9作)、「ボストン・ブラッキー(Boston Blackie, 1941-1949)」シリーズ(14作中最後の2作)、とミステリーの連作映画製作を得意としていた。「ザ・ホイッスラー」もその人気シリーズ映画の一つで、8作品中7作品がフロソーの製作である。
映画製作でシリーズ連作を得意としていたフロソーは、当然テレビ番組の制作に移ってからも、シリーズ番組で力量を発揮した。「ラマー・オブ・ジャングル(Ramar of the Jungle, 1953-1954)」シリーズ、「ザ・ニュー・アドベンチャー・オブ・チャーリー・チャン(The New Adventure of Charlie Chan, 1957-1958)」シリーズなどをヒットさせた。
彼のフィルモグラフィを全体的に見渡すと、フロソーはあくまでシリーズ連作を連発するなかで《Film Noir》の性格を多分に持つ「ザ・ホイッスラー」シリーズをプロデュースしたに過ぎないと言えるだろう。このシリーズがもつ様式やテーマの一貫性は、まさしくフロソーがシリーズ映画製作に長けていたということの証である。
Top Image: Cry Vengeance (1954)
References
[1]^ S. Eyman, “John Wayne: The Life and Legend.” Simon and Schuster, 2015. Available: https://books.google.com?id=4qceCAAAQBAJ
[2]^ P. Meehan, “Horror Noir: Where Cinema’s Dark Sisters Meet.” McFarland, 2014. Available: https://books.google.com?id=4ADpBeeOK4EC
[3]^ S. Selby, “Dark City: The Film Noir.” McFarland, Incorporated, Publishers, 1997. Available: https://books.google.com?id=QKNZAAAAMAAJ
[4]^ G. Mayer, “Film Noir and Studio Production Practices,” in A Companion to Film Noir, John Wiley & Sons, Ltd, 2013, pp. 211–228. doi: 10.1002/9781118523728.ch13.
[5]^ M. F. Keaney, “Film Noir Guide: 745 Films
of the Classic Era, 1940-1959.” McFarland, 2003. Available: https://books.google.com?id=LnCeCQAAQBAJ
[6]^ G. Blottner, “Columbia Noir: A Complete Filmography, 1940-1962.” McFarland, 2015. Available: https://books.google.com?id=l9B7BwAAQBAJ
[7]^ T. Ramsaye, Ed., “1937-38 International Motion Picture Almanac.” New York : Quigley Publishing Company, 1938.
[8]^ “Rudolph C. Flothow – Biography,” Jan. 26, 2015. New York Times Archive