ノワールの製作者:ジェリー・ウォルド
ハリウッドの古典フィルム・ノワール期に、最も多く《ノワール》を手掛けたプロデューサーは誰だったのか。IMDBのタグ分析をもとに割り出した《ノワール・プロデューサー》達を見ていく。今回は最多の14本を手掛けたジェリー・ウォルドについてみていく。

フィルム・ノワールとプロデューサー

IMDBで《Film Noir》のタグが付いている映画を抽出して分析しているが、今回はプロデューサーについてみてみたい。

以下が、IMDBによる、《Film Noir》を多く製作したプロデューサー、トップ10である。

順位監督本数
1ジェリー・ウォルド(Jerry Wald, 1911–1962)12
2ウィリアム・H・パイン(William H. Pine, 1896–1955)11
2ウィリアム・C・トーマス(William C. Thomas, 1903–1984)11
2サム・カッツマン(Sam Katzman, 1901–1973)11
4リンゼイ・パーソンズ(Lindsley Parsons, 1905–1992)10
6オーブリー・シェンク(Aubrey Schenck, 1908–1999)9
6ルドルフ・C・フロソー(Rudolph C. Flothow, 1895–1971)9
6ブライアン・フォイ(Bryan Foy, 1896–1977)9
6ハーマン・シュロム(Herman Schlom, 1904–1983)9
6ヒューゴ・ハース(Hugo Haas, 1901–1968)9
フィルム・ノワール プロデューサー 作品数トップ10
IMDBのデータを集計。《Film Noir》のタグが付いている作品数が多いプロデューサーのリスト

プロデューサーのクレジットに関しては少し慎重になる必要がある。

まず、プロデューサーは、監督と違って、クレジットされないことが頻繁にある。特に1970年代より前のハリウッド映画は「エグゼクティブ・プロデューサー executive producer」のようなポジションは映画内のクレジットで記載されていないことが多い。クレジットの有無だけでは心もとないのである。さいわい、IMDBは、クレジットされていないプロデューサーも「uncredited」と付記されてリストされているので、網羅的に観測できるようになっている。

もう一点は、クレジットの問題とも関係するが、プロデューサーがどこまで製作に関与したか、という問題である。エグゼクティブ・プロデューサーとプロデューサーでは役割や関わり方が違う。同じプロデューサーという肩書だとしても、クレジットの有無は何らかの理由がある。また、プロデューサー個人のやり方や、製作環境(e.g. 製作会社)によって、プロデューサーの映画への関わり方は多様である。

すなわち、監督や撮影監督、脚本家と同じように、プロデューサーについて、ある一定の定義された役割を想定して論じるのは難しい、ということだ。その認識のもとに、以下各プロデューサーと作品について考えてみたい。

ジェリー・ウォルド

プロデューサーとして《Film Noir》に関わった本数がいちばん多いのは、ジェリー・ウォルドである(下表)。

製作年タイトル原題配給
1945ミルドレッド・ピアースMildred PierceWarner Bros
1946ユーモレスクHumoresqueWarner Bros
1947The UnfaithfulWarner Bros
1947失われた心PossessedWarner Bros
1947潜行者Dark PassageWarner Bros
1948キー・ラーゴKey LargoWarner Bros
1949美しさ故にFlamingo RoadWarner Bros
1950悪党は泣かないThe Damned Don't CryWarner Bros
1950女囚の掟CagedWarner Bros
1950破局The Breaking PointWarner Bros
1950目撃者Storm WarningWarner Bros
1952熱い夜の疼き*Clash by NightRKO
1955女王蜂Queen BeeColumbia Pictures
1956殴られる男**The Harder They FallColumbia Pictures
ジェリー・ウォルドが製作したフイルム・ノワール作品
IMDBのデータより

ウォルドの製作映画のなかでは、ジョーン・クロフォード主演作が突出して目立っている。ワーナー・ブラザーズ時代の『ミルドレッド・ピアース』『ユーモレスク』『失われた心』『美しさ故に』『悪党は泣かない』の5作品、そしてコロンビア・ピクチャーズの『女王蜂』も合わせると全部で6作品も関わっている。言いかえれば、『ミルドレッド・ピアース』を発端として、ワーナー・ブラザーズ移籍後のジョーン・クロフォードの「トラブルを抱えた女」のイメージを作り上げたのは、ウォルドだったと言ってよい。他にもアン・シェリダン(『Unfaithful』)、エリノア・パーカー(『女囚の掟』)、ジンジャー・ロジャース(『目撃者』)、さらにはバーバラ・スタンウィック(『熱い夜の疼き』)など、ウォルドの作品には、年齢を理由にスタジオが敬遠する女優を主演に起用して、女性メロドラマの新しい地平を開こうとする姿勢が一貫している。家族の崩壊、不倫と裏切り、ほころびていく理想、そういった当時のハリウッド映画では扱いにくかったテーマを、メロドラマのかたちを借りて映画化して一定の成功をおさめた。

興味深いことに、ジェリー・ウォルドがプロデューサーとして最初の成功を収めたのは戦時中の戦争映画だった。『北大西洋(Action in the North Atlantic, 1943)』『Destination Tokyo, 1943』『決死のビルマ戦線(Objective, Burma!, 1945)』といった作品が、戦争のリアリティを映し出しているとして評判になった[❖ note]ウォルドの戦争映画 ジェリー・ウォルドは、戦争映画のリアリティ/真正性オーセンティシティを出すために、撮影監督たちの反対を押し切って、スタジオのセット撮影でも不十分な照明のもとで撮影させたとインタビューで答えている(ウォルドの言葉では「灰色のフィルム」)。戦場を写したドキュメンタリー映画に近づけるためだったという [11]。ウォルドは、観る者にとってのリアリティのスケールは、現実の外的物理世界を映し出す鮮明さではなく、世界を映したフィルムの像のあり方に深く関わっていることを理解していた。その彼が、戦後は女性メロドラマに舵を切ったのである。

ミルドレッド・ピアース』は、その口火を切った作品である。ジェームズ・M・ケインの原作に、殺人ミステリの要素を組み込んで、幅広い観客層を狙った。家計を助けるために働くウェイトレスから成功したビジネスパーソンへ、夫の浮気に耐える妻から男たちをあしらい値踏みする女へ、子供の養育に頭を悩ませる母親からなんでも買い与える家長へ、デパートの安いドレスワンピースから巨大な毛皮のコートへ、変身を遂げるジョーン・クロフォードが主役だ。ワーナー・ブラザーズの、見事に整ったスタイルの撮影(アーネスト・ホーラー)、派手で華やかな美術(アントン・グロット)、甘くきらびやかな音楽(マックス・スタイナー)が作品の製作価値プロダクション・バリューを高め、渋くて苦いメロドラマでも消化しやすいものに変えている。ウォルドは、この役にクロフォードを起用することを決定しただけでなく、彼が納得いくまで脚本を徹底的に書き直させた[1 pp.43-46]。前年の『深夜の告白(Double Indemnity, 1944)』に強い衝撃を受けていた彼は、同じ原作者による同名原作の魅力と毒々しさとを維持しつつ、ワーナー・ブラザーズ色になるように仕立て上げた。

『ミルドレッド・ピアース(Mildred Pierce, 1945)』
ジョーン・クロフォードの変身譚。台所で家事をする主婦/デパートの安物ワンピース・ドレス(上)からビジネスで成功した女性実業家/荒唐無稽なまでに大きい毛皮のコート(下)へ

『ユーモレスク』は、さらに混乱した女性像を描き出す。ジョン・ガーフィールド演じるバイオリニストのパトロンとして、欲求不満のはけ口を不倫、そしてそれがかなわぬ時はアルコールに求めて、最後は自滅していく。クロフォードのフィルモグラフィのなかでも最も素晴らしい演技と言われる作品だが、ジョン・ガーフィールドのキャラクタリゼーションもそれを増幅している。ここでも、ワーナー・ブラザーズの職人たちに支えられて、音楽映画の見どころが余すところなく披露されている。音楽界に新星として紹介されるポール・ヴァーレー(ジョン・ガーフィールド)のバイオリン演奏が上映時間のかなりの部分を占めるが、これは当時まだ無名に近かったバイオリニスト、アイザック・スターンの録音を使い、ガーフィールドの演技[❖ note]ジョン・ガーフィールドのバイオリン演奏 この演奏シーンの撮影も困難を極めたようだ。クローズアップでは、ガーフィールドを真ん中にして、カメラに写り込まないように二人のプロのバイオリニストをしゃがませて、両脇からそれぞれ右手と左手を出して(ガーフィールドの上着に穴があってそこに腕を通していたという)、左手が指板でフィンガリングを、右手が弓をもってボウイングを、同期させて演奏した。これで、あたかもガーフィールドが演奏しているかのように見せた[12 p.172]。実際に演奏シーンを見ると、ガーフィールドの肩の位置と腕の位置が非常に不自然になっていることが多い。に同期させたという。この困難な編集をおこなったのが、ルディ・ファー(Rudi Fehr, 1911-1999)だ。このような才能と技能がハリウッドのメジャースタジオの作品の質を支えていたのである。

ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール主演の『潜行者』は、ウォルドのフィルモグラフィの中でも傑出した野心作の一つである。デヴィッド・グーディスの同名の原作をもとにデルマー・デイヴスが監督した。有名な一人称カメラの前半部分が前年に公開された『湖中の女(Lady in the Lake, 1946)』と比較されることが多いが、デイヴスのアプローチの方が説得力がある。デルマー・デイヴスのフィルモグラフィを検討したマシュー・カーターとアンドリュー・パトリック・ネルソンによれば、『潜行者』は《Film Noir》としては異色作だという。ボガート演じるヴィンセントがヒーロー的存在ではないこと、まわりが彼の逃亡に手を貸してくれる者ばかりという扶助精神の世界であること、そしてハッピーエンドがなんら解決をもたらさないこと、をその異色性に挙げている[2]。しかし、主人公がヒーロー的存在でないことや、曖昧な終わり方はむしろ《Film Noir》の特徴のなかでも少なくない作品に共通してみられるものではないだろうか。

『潜行者』がウォルド製作作品として画期的なもう一つの点は、ロケーション撮影に重点をおいたところである。それまでのウォルドのアプローチは、スタジオセットを基本とした古典的なもので、ロケーション撮影はあくまで真正性を担保するための補助的な役割であった。しかし、ウォルドは『潜行者』で、いわゆる《セミ・ドキュメンタリー》スタイルに挑戦し、サンフランシスコという町のディテールを取り入れて、リアリティ、オーセンティシティを強調しようとした。デルマー・デイヴスと撮影監督のシドニー・ヒコックスは、サンフランシスコのでのロケーション撮影に力を入れて、80日間というA級作品としてもかなり長い撮影期間が設けられた。ここでは、前半のPOVショットでも活躍した小型手持ちカメラ、アリフレックス35[❖ note]アリフレックス35 MGMは『湖中の女』で手持ちの小型カメラとして、アイモ Eyemo を使用したが、ワーナー・ブラザーズはアリフレックス35 Arriflex 35を使用した。このカメラは、ワーナーの海外部門に在籍していたウォルター・A・クリンガーが、戦後ドイツから持ち帰ったものだ [13]。アーノルド&リヒター(ARRI)社はドイツの映画機器会社で、このアリフレックス35は、ビューファインダーで見える像が、実際にフィルムに撮影される像と一致している点が極めて優れていた。第二次世界大戦中にはドイツ軍が戦場での記録撮影に使用していたカメラである。これは、『潜行者』のPOVショットの撮影を容易にしたばかりでなく、同時にサンフランシスコでのロケーション撮影においても、軽量な携帯性と優れたレンズ性能によって威力を発揮した [3 p.21] が重要な役割を果たす。

『潜行者(Dark Passage, 1947)』
アリフレックス35をアメリカ劇映画で初めて使用した作品。ラストのケーブルカー内での撮影は、このドイツ製カメラで行われた。コンパクトで機動性が優れているというだけでなく、光学特性(レンズ)も「深い焦点深度で信じられないほどのシャープさ(ワーナー・ブラザーズの社内メモ [3])」を有しているという点が、ロケーション撮影でも威力を発揮している。

『潜行者』で撮影監督を担当したシドニー・ヒコックスは、サイレント期からのベテランである。ウォルドは、この古参の職人カメラマンをジョーン・クロフォード主演の『失われた心』で採用したが、クロフォードが撮影開始後38日目になって交代を要求、その映画では、結局ジョセフ・ヴァレンティーンが撮影を担当した [4 p.79]。一方、ウォルドは『潜行者』の撮影監督としてロバート・バークスを考えていたが、ローレン・バコールの前作を担当しているシドニー・ヒコックスが最終的に選ばれた。すなわち、ウォルドは女優を中心にすえて、その女優が最も信頼している撮影監督に映画を担当させたのだ。

その点、『キー・ラーゴ』は極めて明快なサスペンス映画であり、結局のところ複雑なキャラクターは登場しない。ハンフリー・ボガート、エドワード・G・ロビンソン、ローレン・バコールは以前の映画で演じた役を繰り返しているだけである。もちろん、それだけで興行成績は跳ね上がるのだから、プロデューサーとしてはそれほど難しい舵取りをするわけでもないだろう。

《精神的に不安定なヒロイン》の映画も『失われた心』を頂点に、おとなしいものになっていく。『悪党は泣かない』になると、かつてのクロフォードが演じていたような、貧しい労働者の環境から這い上がっていく女という鋳型に逆戻りしているようにさえ見える。一方で、時事的なテーマを取り上げた作品では、いかにもワーナー・ブラザーズらしい、容赦ないセンセーショナリズムが功を奏している。刑務所の実態をあばく『女囚の掟』(エリノア・パーカー演じる主人公の変身ぶり!)、南部に巣くう人種差別の暴力を描く『目撃者』は、当時他のプロデューサーのあいだでも流行していた、犯罪者の更生といったテーマや、米国南部の人種差別の問題を、やはり女性を主人公として取り上げている。

『悪党は泣かない(The Damned Don’t Cry, 1951)』
ここでも繰り返されるジョーン・クロフォードの変身譚。衣装のもつ役割は『ミルドレッド・ピアース』と同じだ。

脚本家ノーマン・クラスナと組んだウォルド゠クラスナ・プロダクションズは、RKOの独立製作ユニットとして設立されたが、独立とは名ばかりで、ハワード・ヒューズの気紛れな思い付きと場違いなビジネス感覚に振り回されて無駄に時間が過ぎていった。「5年間で60本の映画を製作する」という触れ込みだったが、ヒューズとの(ミス)コミュニケーションに時間と精神をすり減らしてしまい、3年近くの在籍中に彼らのものとして世に送り出せたのはたったの5本だった[5 pp.112-116]。ヒューズのトップ着任とともに、RKOは多くの俳優、技術者、職人、スタッフが解雇されるか辞職し、メジャースタジオがもっていたはずの財産アセットが失われていたことも問題だった。ウォルドは、ワーナー・ブラザーズのときのようにスタジオの《力》をあてにすることができなくなっていたのだ。そんななかで注目したいのは、フリッツ・ラング監督の『熱い夜の疼き』だろう。プロデューサーのクレジットはハリエット・パーソンズ[❖ note]ハリエット・パーソンズ ハリウッドのゴシップ・コラムニスト、ルエラ・パーソンズの娘。パーソンズは1940年代から50年代にかけて、たった3人しかいなかったハリウッド女性プロデューサーのうちの一人である(残りの2人はヴァージニア・ヴァン・アップとジョーン・ハリソン)。しかし、RKOでのパーソンズは決して恵まれておらず、むしろ彼女のRKOでのキャリアは悲惨な体験だった。ハワード・ヒューズとその取りまきのあからさまなショーヴィニズムの餌食となり、ヒューズがルエラ・パーソンズに恩を売るためだけにRKOに在籍させられていたのではないか、とRichard Jewellは述べている [5 pp.174-175]だが、彼女は日々の撮影進行をウォルドやクラスナに報告する役割で、実質的にはジェリー・ウォルドが脚本、配役などを決め、ラングに指示を出していたようである[6 pp.388-391]

コロンビア・ピクチャーズでも、ウォルドは幸せではなかった。 そんななかでも、『殴られる男』はウォルド自身が長いあいだ映画化を望んでいたものだという [7]。この映画はハンフリー・ボガートの遺作となった、陰鬱で破滅的な映画である。原作はバッド・シュールバーグの小説だが、もともとRKOでドーリ・シャーリがロバート・ミッチャム、ジョセフ・コットンで映画化を目論んでいたものを紆余曲折の末、ジェリー・ウォルドが入手した [8]。ウォルド自身はクレジットされず、プロデューサーのクレジットはフィリップ・ヨーダンとなった。後年のインタビューで、ヨーダンは「ボガートは大騒ぎをして、ひどく私のことを悩ませた」と語っている。

(ハンフリー・ボガートは)この映画のとき、態度が悪かった。自分の映画じゃないと分かっていたからだ。

Philip Yordan [9 p.375]

しかし共演のロッド・スタイガー(Rod Steiger, 1925-2002)は全く違う印象を語っている。ボガートはプロ意識が高く、他の俳優なら嫌がるであろう、クローズアップの撮り直しにも応じていたという。それがガンの痛みをこらえて涙目になっていたための撮り直しだったと後になって知って愕然とした、と述懐していた [10 pp.141-142]

『殴られる男』の撮影監督はバーネット・ガフィ―だ。「グレッグ・トーランドのディープ・フォーカスへの機能的反論」とさえ言われる、ガフィの独特の灰色の画面が、くすんだニューヨークを背景に、ボクシングの世界の汚濁を容赦なく映し出している。

『殴られる男』のニューヨーク
バーネット・ガフィーの描くアメリカはいつもくすんでいる。最小限の照明、シンプルなセットアップで、ストレートにアメリカの残忍さをとらえる。

不遇の数年を過ごしたのち、ジェリー・ウォルドは二十世紀フォックスのプロデューサーとなる。ここで彼は『めぐり逢い(An Affair to Remember, 1957)』『青春物語(Payton Place, 1957)』などの大ヒット作を製作していく。確かに女性を中心に据えたメロドラマを多く製作しているが、かつての陰鬱でマージナルな世界に生きる女の物語の映画ではなく、《文芸大作》とも呼ぶべきような作品が中心となっていく。《Film Noir》的な感覚から遠ざかっていったのだ。20年以上にわたるウォルドの製作方針の変遷を見る限り、大衆の嗜好をウォルドなりに解釈した結果だったのだろう。

ウォルドの《Film Noir》のリストを眺めていると、ハリウッドで最も多く《Film Noir》を製作したプロデューサーが、ハードボイルド探偵のミステリ映画やギャング映画ではなく、女性を主人公とした《女性映画》を得意としていた、という点に驚かされる。これは、ジョーン・クロフォードらが主演していた、いわゆる《女性メロドラマ》と《フィルム・ノワール》が近親関係にあったということを示しているとみてよいだろう。ウォルドの製作ではないが、ベティ・デイヴィスの『月光の女(The Letter, 1940)』や『偽りの花園(The Little Foxes, 1941)』『愛憎の曲(Deception, 1946)』なども、同様の例として挙げられる。1940年代には、女性メロドラマ的感性が、ノワール映画に代表されるような、心理的歪みの描写に極めて接近していたのだ。ウォルドは、それらの物語を、ワーナー・ブラザーズの製作資本をふんだんに使ってまとめ上げ、ヒット作として世に送り出していたのである。

References

[1]^ J. Boozer, “Authorship in Film Adaptation.”
University of Texas Press, 2009. Available: https://books.google.com?id=VK04sar06BUC

[2]^ M. Carter and A. P. Nelson, “Introduction: No One Would Know It Was Mine’: Delmer Daves, Modest Auteur,” in ReFocus: The Films
of Delmer Daves, M. Carter and A. P. Nelson, Eds. Edinburgh University Press, 2016.

[3]^ N. Pope, “Chronicle of a Camera: The Arriflex 35 in North America, 1945–1972.”
Univ. Press of Mississippi, 2013.

[4]^ D. Meuel, “Joan Crawford in Film Noir: The Actress as Auteur.” McFarland, 2024. Available: https://books.google.com?id=Hr34EAAAQBAJ

[5]^ R. B. Jewell, “Slow Fade to Black: The Decline of RKO Radio Pictures.”
Univ of California Press, 2016. Available: https://books.google.com?id=o4mTCwAAQBAJ

[6]^ P. McGilligan, “Fritz Lang: The Nature of the Beast.” U of Minnesota Press, 2013. Available: https://books.google.com?id=wu5zDwAAQBAJ

[7]^ H. Hopper, “Hedda Hopper’s Hollywood,” The Berkeley Gazette, Berkeley, CA, p. 20, Mar. 22, 1956.

[8]^ G. Blottner, “Columbia Noir: A Complete Filmography, 1940-1962.” McFarland, 2015. Available: https://books.google.com?id=l9B7BwAAQBAJ

[9]^ P. McGilligan, “Backstory 2: Interviews with Screenwriters of the 1940s and 1950s.” University of California Press, 1997.

[10]^ D. Fantle and T. Johnson, “25 Years of Celebrity Interviews from Vaudeville to Movies to TV, Reel to Real.” Badger Books Inc., 2004. Available: https://books.google.com?id=SH_3hGoAEjQC

[11]^ L. E. Redelings, “The Hollywood Scene,” Hollywood Citizen-News, Hollywood, p. 4, Jan. 21, 1946.

[12]^ O. Levant, “The memoirs of an amnesiac.” Bantam Books, 1966.

[13]^ J. Gleich, “Hollywood in San Francisco: Location Shooting and the Aesthetics of Urban Decline.” University of Texas Press, 2023. Available: https://books.google.com?id=TaRqDwAAQBAJ


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